倶利伽羅合戦
寿永2年(1183)5月、信濃の国で兵を挙げた木曽義仲と、それを迎え撃つため北上した平維盛が砺波山において倶利伽羅合戦を繰り広げました。
倶利伽羅合戦古戦場は「倶利伽羅県定公園」としてハイキングコースとドライブコースが整備されています。
私はドライブコース「源平ライン」を行きました。
まずは「巴塚・葵塚」
巴と葵は、ともに義仲の愛妾であり、武将でもありました。
巴は色白・美麗な女武将。
弓矢の達人で騎馬に乗り、一騎当千の活躍をしたといわれています。
葵は倶利伽羅合戦で討死したため、この地に葬られました。
後、巴は尼になって義仲の菩提を弔い、91歳の生涯を閉じたと伝わります。
福光城主の石黒光弘がこの地に巴葵寺を建立しましたが、後に焼失したと伝えられています。
そしていよいよ古戦場
「矢立」がありました。このあたりは義仲軍の最前線です。
幅300m程の谷を隔てた「塔の橋」より平家軍が矢を放ち、ここに多くの矢が立ったと伝わります。
すぐ近くに「塔の橋」
平家軍の最前線「平行盛」がここに陣を構え、矢立山の今井兼平軍に向けて矢を放ちました。
「地獄谷」
夜半、義仲軍が合図の鬨の声をあげながら、数百頭の牛の角に松明をくくりつけた「火牛」を放って夜襲をかけたため、驚いた平家軍の人馬がなだれ落ちたという場所です。
後ろは深い谷になっています。
「義仲の陣跡」
この街道の北下に、木曽義仲本隊2万が陣を布き「笹りんどう」の旗印が閃いたとか。
さぞかし壮大な眺めだったでしょうね。
そして平家の本陣「猿ケ馬場」
平家の総大将・平維盛が本陣をおいた所です。
奥には軍議を開いたと伝わる「軍議石」
席まで分かるのですか〜
さらに奥には名前の由来となった伝説の猿を祀った「猿ケ堂」
本日のハイライト「火牛」です(笑)
平家物語では7万騎が谷に落ちたとしていますが、実際は1万騎だったといわれています。
平家軍は冨士川に続いて、またしても惨敗したのです。
源平供養塔
源平両軍の兵士の霊を弔うため、昭和49年に建立されました。
源平供養塔の裏には、夜襲を受けて敗走したものの、翌朝手兵50騎を率いて逆襲したという勇猛果敢な武将・平為盛の塚があります。
平為盛は平頼盛の子供です。
平家軍の中には、こんな勇猛な人もいたのですね。
倶利伽羅峠をさらに行くと、名前の由来となった倶利伽羅不動寺があります。
日本三大不動のひとつ、倶利伽羅不動尊が祀られています。
そして山を降りて、国道8号線に・・
「くりからトンネル」がありました。
そして続いて「源平トンネル」!!
何て面白いトンネルなんでしょう!
これには思わず拍手喝采しました(笑)
by merry
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