丸亀城
11月15日の新聞記事に「江が初姫に宛てた2通の手紙が香川県の丸亀市立資料館で見つかった。15日から同館で特別公開する」と書いていました。
翌16日、香川県丸亀市へひとっ走りです(笑)
丸亀城は標高66mの亀山に築かれた平山城です。
生駒家4代、山崎家3代を経て、京極家へと引き繋がれました。
大手一の門
見返り坂を登ると、三の丸北側の石垣が聳えています。
丸亀城は石垣の名城として有名ですが、その中でも、最も高く、美しい曲線美をもつ石垣です。
天守
3層3階の現存木造天守です。
万治3年(1660)京極高次の孫・高和が天守を完成させました。
城内には京極家ゆかりの兜や火縄銃などが展示されていました。
やっぱり昔のお城は階段がきつい・・
最上階から眺める景色。
右手前方に瀬戸大橋が見えます。
京極高次が逝去した後、家督を継いだのが京極忠高。
そしてその正室がお江の4女でお初の養女となった初姫です。
忠高は父・高次の跡をついで25年間若狭小浜を統治した後、寛永11年(1634)出雲・隠岐国26万4千2百石に国替えとなりました。
しかし入封わずか3年目の寛永14年(1637)に急死。
忠高と初姫との間に2人の子どもがいましたが、早世したため跡嗣がなく、また側室との間にも継嗣となる男子がいなかったため、京極家は存亡の危機に直面しました。
そこで家老・佐々九郎兵衛が幕府に、忠高の甥・高和の家督相続を嘆願。
その結果、祖父・高次の大津籠城の勲功と忠高の幕府に対する忠義が評価され、大幅な減封とはなったものの播磨国龍野6万石へ国替えとなって京極家は存続することができたのでした。
そして明暦4年(1658)高和は龍野より丸亀へと国替えとなり、初代京極丸亀藩主となりました。
以後京極家は7代にわたり、明治維新までの210年間丸亀藩を治めました。
延寿閣別館
麻布にあった京極家の江戸屋敷の一部を移築したもの
二の丸井戸跡
丸亀城で最高所にある井戸です。城絵図によると深さは約65mもあるとか。
また築城にかかわる悲しい伝説もあります。
月見櫓跡
讃岐富士を正面に望みます。
大手一の門の内部も公開されていました。
さて、いよいよお江の手紙が展示されている資料館へと向かいます。
by merry
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