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狭山山不動寺 増上寺から移築された門

[ 埼玉 ]

今年の春、埼玉県所沢市にある狭山不動尊に行って来ました。
正式名は狭山山不動寺という天台宗のお寺です。
西武グループ創業者の堤康次郎は、空襲で焼けた増上寺の一部を買い取り、ホテル建設の用地整備のため、昭和33年(1958)に将軍家墳墓を発掘改葬しました。 その際、遺構や遺物を保存するために狭山不動寺を建立し、増上寺にあった勅額門、御成門、丁子門を移築しました。

西武球場前駅の改札を出ると、西武ドームが左手に、狭山不動寺とゆり園が右手に見えてきます。











台徳院霊廟勅額門







寛永9年(1632)家光により増上寺の南霊屋に建てられたもので、四脚門形式切妻造りです。 台徳院は、秀忠の院号。後水尾天皇直筆の勅額を掲げることからこの名がついています。 後水尾天皇は、紫衣事件では、禁中並公家法度に違反し、幕府の許可なく十数人の僧侶に紫衣着用の勅許を与えた為、家光が勅許状の無効を宣言し、後水尾天皇と将家光が対立する形となりました。その後、朝廷が幕府の勅許状無効宣言に異議を唱え、大徳寺の住職・沢庵宗彭、妙心寺の東源慧等らの高僧も、幕府に抗議しましたが、幕府は、反抗した高僧達を奥羽への流罪に処しました。 紫衣事件に加え、家光の乳母・春日局が無官のまま参内したという事件(異説あり)により、後水尾天皇は、幕府に対する抗議から、33歳の若さで退位し、江と秀忠の娘・和子の産んだ興子内親王を明正天皇として即位させました。 この勅額門を抜けて階段を上がると御成門があります。

台徳院御成門





寛永9年(1632)年、家光により建立された切妻造りの門で、将軍参詣のために使用されました。 飛天の彫刻や絵画が多く描かれているので天人門ともいわれています。 格天井の中央に丸い鏡天井が設けられた珍しい造りで、色鮮やかな豪華な門です。










緑豊かな静かなお寺です。

by shizuka


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2011.11.24 Thursday 00:00 | comments(5) | - | 

川越の仙波東照宮

[ 埼玉 ]
喜多院に隣接する 仙波東照宮です。




元和3年(1617)、徳川家康の遺骸を久能山から日光に移送する途中、喜多院に4日間とう留して、家康の信任が厚かった天海僧正が法要を営みました。その因縁により、寛永10年(1633)東照宮が喜多院の境内に創建されました。
しかし寛永15年(1638)寛永の大火より、東照宮、喜多院(山門を除く)、中院、南院、城下町の大半を焼失。
現在の建物は、3代将軍・徳川家光が堀田正盛に造営を命じ、寛永17年(1640)に再建されたものです。
随身門、鳥居、拝幣殿、平唐門、瑞垣、本殿全てが重要文化財の指定を受けています。















この階段、かなり急でした(汗)



この日は、平日なので、中には入れませんでしたが外から写せる範囲で、何枚か撮りました。















なるほど、日光東照宮のミニチュアといった感じの建物でした。

by shizuka


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2011.10.03 Monday 09:57 | comments(8) | - | 

川越の喜多院

[ 埼玉 ]
 
川越の喜多院は、平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立したものです。


 



慶長4年(1599年)、天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改め、川越藩主となった老中・酒井忠利が喜多院の再興に当たりました。
 慶長18年には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜りますが、寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失。 翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築しました。これが今に残る客殿、書院、庫裏です。
 
4代将軍・徳川家綱は200石を加増し、750石・寺域48,000坪の大寺となり、歴代徳川家に厚く保護されました。 客殿は、書院、庫裏とあわせ江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。
 
客殿には「徳川家光誕生の間」、書院には、「春日局化粧の間」がありますが、写真撮影は不可です。 家光誕生の間は、この建物が江戸城にあった頃、上段の間で家光が生まれたことから、また「春日局化粧の間」は、家光の乳母である春日局が使用していた部屋ということからこのように呼ばれています。



多宝塔



多宝塔は、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されました。


慈眼堂





慈眼大師天海を祀る慈眼堂には厨子に入った天海僧正の木像が安置されています。

大黒天



鐘楼門







番所





山門は、天海僧正により建立された喜多院で現存する最古の建物。


天海僧正(慈眼大師)の像



五百羅漢


 
日本三大羅漢に数えられる五百羅漢は天明2年(1782年)から文政8年(1825年)の半世紀にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座しています。 深夜、羅漢の頭を撫でると一つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ているという伝承が残っているそうです。







自分と似たお顔を探してみたけれど見つからず


by shizuka


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2011.10.02 Sunday 22:00 | comments(4) | - | 
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