めりいさんに付き合ってもらい、関ヶ原に行って来ました!
朝6時台の東海道線でいざ関ヶ原へ
駅からすでに合戦がスタートしているようです
秋晴れの土曜に当たったこの日のウォーキングの参加者は予想以上にたくさんでした。
受付で、ウォーキングマップをもらってそれぞれ自分のペースで歩いて行きます。
最初の陣跡は、駅から0.7kmの
本多忠勝陣跡
ここから1.8km先には
徳川家康最初陣地
ここから2km先の丸山へ
上り坂が続きます
クマ出没注意の看板が


噂には聞いていたけど、やっぱり関ヶ原には出るのね・・・
竹林の中を進みます。
まだまだ続く山道
どこからクマが出てくるかわからない不安に駆られながら
黙々と歩きます。
良かった〜一人で来なくて・・・
歩いて切る途中にクマ出没注意なんてのを見たら、その先を進んでいいのか
戻るべきかためらっちゃうわ。
そうこうしているうちに視界が開けてきました。
すると見えて来たのは・・・
お〜〜やっと着いた!
今回の目的地に\(^o^)/(まだまだゴールではないですが)
ここが
黒田長政・竹中重門陣跡です。
竹中重門といえば、あの
竹中半兵衛の嫡子です。
ともに秀吉の軍師であった
黒田官兵衛と竹中半兵衛の息子達が同じ場所に陣を構えるとは!
しかも徳川方として・・・
黒田長政にとって竹中半兵衛は命の恩人。その息子である重門とは幼馴染でもあり、よきライバルでもあったのでしょう。
竹中重門
父・重治の死後、従父(父の従弟)の竹中重利の後見を受けて、羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕える。天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦い、天正18年(1590年)の小田原征伐などに従軍する。天正16年(1588年)に従五位下丹後守、翌天正17年(1589年)には美濃国不破郡に5000石を授けられた。文禄の役では名護屋城に駐屯し、慶長の役では軍目付として朝鮮へ渡海した。戦後、戦功によって河内国内に1000石を加増される。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、当初西軍に属して犬山城主・石川貞清を援助するが、井伊直政の仲介によって東軍に鞍替えする。そして他の主たる東軍の武将同様、みずからの居城である菩提山城を徳川家康に提供している。本戦では、幼なじみでもある黒田長政軍に合力して激戦地で奮戦し、さらに戦後まもない9月19日(10月25日)、伊吹山山中で、西軍の武将・小西行長を捕縛するなどの大功を挙げ、家康から直筆の感状を受けた。
また、関ヶ原は竹中氏の所領であったことから、戦没者に対する供養料1000石を下賜されるなど、幕府旗本(交替寄合席)として美濃岩出山6000石を安堵され代々継承した(のちに分家を輩出し5000石となる)。庶子の一人は長政との縁により福岡藩黒田家に重臣として仕えた。(Wikipediaより)
ちょっと休憩して、また山道を歩いて行きます。
山道を抜けると、
エコフィールド関ヶ原という気持ち良い道に出ます。
しか〜し、少し進むとこんなものが(@_@;)
これはクマ捕獲用の檻ですよね?
入ってなくて良かった〜
池に沿って歩くと
また竹藪が
これを抜けると、広い道に出て、いよいよ
関ヶ原の決戦地へ!
雲一つない秋晴れです
次は、笹尾山の
石田三成陣跡へ
島左近陣跡
ここから笹尾山に上ります。
わずか5分ほどで山頂へ。
三成さん、好きなのだけど、「軍師官兵衛」では官兵衛憎しの嫌〜な三成ですね
見晴の良いところで、休憩

は良いのですが、撮影スポットである
石碑の前に荷物を置いたり、座り込むのはちょっと・・・
三成の兜のモニュメント
ここから次の目的地まで1.1km歩きます!
by shizuka
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