大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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後藤象二郎邸跡
  

小曽根邸から歩いて5分くらいのところに、後藤象二郎がかつて住んでいた邸跡があります。
彼は、土佐藩の武器や軍艦を買い付けるため、この長崎に来ていました。

土佐勤皇党への弾圧に関わり、大河ドラマの中ではずいぶん悪役イメージの後藤象二郎ですが、慶応3年、長崎の「清風亭」で龍馬と会談して意気投合すると、龍馬の策にそって、積極的に土佐藩を倒幕派に導きました。

また、脱藩の罪に問われていた龍馬が特赦されたのも、彼の働きと云われています。



 

土佐では敵対していても、長崎では良き同志となれる・・

これは、土地柄だけでなく、このわずかな間に、時代背景が大きく変遷していたからでしょうね。

さて、次はグラバー園に行きたかったのですが、残念ながらタイムアウト。

グラバー園にはこれまでに2回行っているので、その時の写真を探すことにして、今回はここで長崎の旅を終了とします。

 

最後に長崎電鉄に乗って長崎駅まで行こうとしたら・・
満員で乗れない

飛行機の時間が迫っているので困っていたら、横にいた人がそっと教えてくれました。

「長崎駅なら、そこに見えてますよ」

       

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| 長崎 | 20:14 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
小曽根邸跡
  

小曽根家は、幕末から明治の長崎を代表する豪商です。

13代目乾堂は、浪の平海岸一帯の埋め立て工事を行い、港湾を整備し貿易の推進に尽くしました。
今でも「小曽根」の地名が残っているそうです。
また、勝海舟と親交があり、その縁で坂本龍馬が組織した亀山社中や海援隊を全面的に援助しました。



 

お龍さんもまた、当時大流行した月琴を、本場長崎で学びたいと、小曽根家の世話になりました。

小曽根家は、乾堂をはじめ、月琴の名手揃いでした。
今も小曽根家に、その月琴が伝わっていて、先日京都での展示会「龍馬伝」にも出品されていました。


 

また近藤長次郎は、イギリス密航計画が露見したため、この小曽根家の梅の間で切腹しました。
後のお龍さんの談話によると、それを知らされた龍馬は「おれがいたら殺しはせぬのじゃった」と、語ったそうです。
(「長崎さるく英雄編」「長崎旅本」より一部引用)

小曽根家とは、明暗いろいろ関わりが深かったのですね。

 

次は、後藤象二郎邸跡です。

 

                   By merry

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| 長崎 | 16:28 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
長崎海軍伝習所跡
  

土佐商会から海軍伝習所跡へ向かって、歩いている途中に、こんな通りがありました。

 

長崎らしい名前ですね。

 

さて、長崎海軍伝習所跡です。

ペリー来航で海軍の必要性を知った幕府がオランダの協力を得て実現した海軍教育の学校です。

勝海舟はここに入門し、万延元年(1860)日米修好通商条約を批准する使節団に従い、咸臨丸に乗って太平洋を横断しました。

 

海軍伝習所は、長崎奉行所西役所の中にありました。

現在は、長崎県庁になっています。

 

次は、小曽根邸です

 

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| 長崎 | 15:30 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
土佐商会跡
 

 

再び長崎電鉄に乗り、西浜町で降りたら、目の前に「土佐商会跡」の碑がありました。




 


土佐商会とは、土佐藩の軍事力強化を目的とした貿易拠点です。

最初は後藤象二郎が、後には岩崎弥太郎が主任となり、辣腕をふるいました。

外国から大砲や弾薬、さらには艦船等を調達するため、土佐の特産品である樟脳や鰹節などを売却してその資金とし、また一方、龍馬率いる海援隊にも、隊員それぞれ月5両という莫大な資金援助をして、藩の海軍力強化を図りました。
           
(案内板より抜粋)

その後、岩崎弥太郎は経営者として一本立ちして、三菱財閥を築きます。

岩崎弥太郎って、頭がよくて、努力家の上、運もよかったのでしょうね。

 

また近くに「銕橋(くろがねばし)」の石柱が保存されています。

日本最初の鉄の橋として、明治元年(1868)に架けられたそうです。龍馬が死んだ翌年の事ですね。

 

 

次は、長崎海軍伝習所跡です。

 

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| 長崎 | 14:18 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風頭公園
  

禅林寺の横から、風頭公園まで、龍馬ゆかりの観光スポットが点在する石畳の道全体を「龍馬通り」と呼ぶそうです。

途中こんな案内もありました。


 

若宮稲荷神社から歩いて10分くらい。風頭公園に到着です。

長崎市内を見下ろす展望台に、立派な龍馬像があります。

 

腕を組んで、長崎の街をじっと見続ける龍馬。

その顔には自信があふれているように見えます。
なかなか男前ですね

彼の人生の中で、一番実力を発揮できた場所。

それが長崎だったのではないでしょうか。

 

さて、ここから山を下り、近藤長次郎のお墓がある「皓臺寺」に行く予定をしていたのですが、どこをどう間違えたのか、それらしき道が見つからず、迷い迷って、結局もと来た道を戻ることになりました。

無念のうちに切腹した近藤長次郎が哀れで、お墓参りをしたかったのに、残念・・

 

次は、土佐商会です。

 

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| 長崎 | 15:54 | comments(7) | - |- pookmark↑PAGE TOP
若宮稲荷神社
  

亀山社中から細い道をくねくねと歩くと、赤い鳥居があざやかな若宮稲荷神社に着きます。

ここには、楠木正成の守護神「若宮稲荷五社大明神」が祀ってあります。

正成といえば、勤皇派の志士にとってカリスマ。

亀山社中からも近く、龍馬をはじめ、亀山社中の志士たちがよく参拝したといわれています。

地元では「勤皇神社」とも呼ばれていたそうです。

               (長崎旅本より引用)

 

龍馬も正成を崇拝していたらしく、今も残る写真の脇差は、正成所持の刀を模して作らせたといわれています。



境内には、高さ1mくらいの小さな龍馬の銅像があります。

これは、風頭公園の坂本龍馬像の原型として作られたものです。
亀山社中跡の庭にありましたが、昨年(
2009)年7月、ここへ移設されました。



 

次は、その大きな像がある風頭公園です。


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| 長崎 | 14:53 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
龍馬のぶーつ像
  

日本で最初にブーツをはいたといわれる坂本龍馬。

その龍馬を象徴するブーツと船の舵の像が、長崎市を見渡す高台にあります。

このねこちゃんは、像ではありません(笑)

 



亀山社中のすぐ近くにあります。

龍馬もおそらくこの地に立って、長崎の街を見渡した事でしょう・・

 

次は、若宮稲荷神社です。

 

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| 長崎 | 14:00 | comments(3) | - |- pookmark↑PAGE TOP
亀山社中記念館
 

坂本龍馬が中心となって設立した、日本初の商社である「亀山社中」。

神戸操練所で培った操船技術で海運業を営む一方、倒幕をめざす政治結社でもありました。

その遺構を長崎市が整備し、当時の間取りをほぼ復元して、去年(2009)8月から公開しています。




 

入口を入ってすぐの第一展示室は「坂本龍馬を感じるゾーン」。
龍馬ゆかりの品々が展示されています。

複製品ですが、写真OKなので嬉しい〜。

 

龍馬の黒地羽二重の紋服(複製品)

この紋服の実物(京都国立博物館所蔵)は、先日、京都文化博物館で開催された「龍馬伝」で展示されていましたよ。



龍馬のブーツ(複製品)
これの本物は見たことがありませんね〜
こんな綺麗なものじゃないと思うけど、本物があるなら見たいですね(笑)

 

 

床の間には、龍馬が所用していた刀「吉行」、龍馬が愛用したピストルが展示されています。



この刀の実物(京都国立博物館所蔵)も、「龍馬伝」で展示されていました。

 


 

ピストル(複製品)
これの本物もどこかにあるのかな〜



月琴

ドラマの中で、龍馬が弾いていましたね。

お龍さんも、この月琴を愛用していたと伝わっているそうです。

この月琴の実物も「龍馬伝」で展示されていましたが、今も長崎の小曽根家に伝わっているそうです。

 

スタッフの女性が、この月琴を弾いてくれました。

聞き覚えのあるメロディで、なんか懐かしい・・

   

次の部屋の第二展示場では亀山社中や海援隊の資料が展示されていたのですが、残念ながら写真はNGでした。

 

最後に、スタッフの人が記念写真を撮ってくれました。

等身大の龍馬の写真の横に立って、はいポーズ

でも、この写真は載せられません・・

 

この記念館はとてもアットホームな感じで、旅人を暖かく迎えてくれる雰囲気があります。

龍馬が好きで集まった・・そんな仲間意識があふれていました。

 

では、次は龍馬のぶーつ像です。

 

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| 長崎 | 15:13 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
龍馬通り
  

上野撮影局から川に沿って歩き、阿弥陀橋を渡って禅林寺まで、5分くらい歩いたでしょうか。

禅林寺と深崇寺という二つのお寺の間に「龍馬通り」と名づけられた細い道があります。

ここから山手の方に上がって行くと、あの龍馬が設立した有名な「亀山社中」があります。

当時龍馬も、何度もこの道を駆け上がった事でしょう。

 

と、当時に思いを馳せながら歩いていたのは最初だけ。

山手に向かっての急階段はけっこうキツイ・・

でもこんな標語に励まされながら、黙々と歩きます。


 

途中には、龍馬をとりまく人物の説明板があります。

 

説明板によりますと

近藤長次郎

幼い頃から学問、武芸を好み、江戸にも遊学して高島秋帆からも砲術を学びました。

勝海舟に入門し、神戸の海軍操練所でも修行を続け、慶応元年(1865)の亀山社中結成に参加し、龍馬の片腕と呼ばれました。この年、薩摩藩の名義を借りた、長州藩のための軍艦・武器購入の計画が起ると、中心的役割を果たしました。しかし、慶応2(1866)英国への単独渡航が露見し、盟約違反に問われて、長崎の小曾根邸内で切腹しました。のちに、それを知らされた龍馬は、「おれがいたら殺しはせぬのじゃった」と、妻・お龍に語っています。近藤の墓は、現在でも長崎市寺町の皓台寺に残されています。

 

いつの時代もみんな、知らない世界を見たい、行ってみたいと思う気持ちを持っていますが、この時代は特に異国へのあこがれと好奇心・探究心が強かったのでしょう。

切腹にまで追い込まれた近藤長次郎が哀れです。

 

陸奥宗光

明治の外交官・政治家。文久3(1863)勝海舟に入門。神戸海軍操練所に学び、坂本龍馬と交友を深めました。その後、亀山社中・海援隊と、終始龍馬と行動を共にしました。龍馬は陸奥宗光の才能を高く評価し、「大小の刀を取り上げても路頭に迷わないのは、僕と君のみ」と語っています。また、陸奥宗光は長崎で外国人の家庭に住み込み、英語を学んだとも伝わっています。明治以後は政府に入り、農商務大臣・枢密顧問官をつとめ、明治25(1892)外務大臣となり条約改正と日清戦争の外交指導に尽力しました。

 

陸奥宗光は日本史で習った記憶がありますが、坂本龍馬と深い交流があったとは、今回の大河ドラマを見て、初めて知りました。

それにしても、この覆面と下駄・・なんなのでしょう?

まるで、鞍馬天狗みたい(笑)

 

他にも沢村惣之丞、長岡謙吉、中島信行・・などなどありましたが、足を休めながら読み進んで行くと、いつの間にか亀山社中に到着です。

あ〜疲れた。

 

「亀山社中」の記事は、次回に詳しく書きます。

 

                     By merry

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| 長崎 | 15:36 | comments(5) | - |- pookmark↑PAGE TOP
上野彦馬撮影所跡
  

長崎駅からテクテク歩いて市役所近くまで来たので、この辺で電車に乗ることにしました。

ところがこのあたりは立体交差になっていて、下に電車が見えていても乗り場が分からないというありさま。

停車場を探して歩いていたら、ひとつ前の「桜町」まで戻ってしまいました。

ちょうど電車が止まっていたので、慌てて飛び乗り、新大工町へ。

電車の中では歴史好きのおじさんと会話がはずみ、楽しい想い出ができました。

 

さて、電車を降りて川沿いに行くと、「上野彦馬撮影所跡」があります。
この場所で、かの有名な龍馬の写真が撮られました。

 

案内板によると

文久2年(1862)上野彦馬はこの北側の地に撮影局を開業した。これがわが国最初の営業写真館であった。(中略)坂本龍馬をはじめ、高杉晋作、グラバーなど長崎を訪れた人たちはこの撮影局で写真を撮ってもらったが、当時の撮影料は、1枚2分と高額であった。(中略)

右のモニュメントは、日本写真術の開祖・上野彦馬の功績を顕彰し、上野撮影局で撮られた龍馬の写真と同じ構図で記念撮影ができるように、同撮影局の写真機と肘置き台を再現したものである。

 

へ〜ぇ、龍馬はこんな間隔で写真機を見ながらポーズをとってたんだ〜

 

もちろん私も左手を懐にいれ、龍馬と同じポーズで記念写真を撮りましたよ(笑)

 

さてここから、山手にある亀山社中を目指して、坂道を登っていきます。

それは次回に

 

                      By merry

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| 長崎 | 15:48 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP