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名護屋城博物館〜佐賀県

[ 佐賀 ]
JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

 

名護屋城址には、過去の史実を反省して、日本列島と朝鮮半島との友好・交流を目的として創立された「名護屋城博物館」があります。


 

 

 

館内は両国の交流史をテーマに、原始・古代から近現代まで、いくつかのコーナーに分かれて展示されています。

その中心は、名護屋城が築城された文禄・慶長の役関連の資料展示です。

写真はNG

 

私が一番興味を持ったのは「肥前名護屋城図屏風」です。

名護屋城は大阪城に次ぐ規模を誇る城だったので、やはりスケールが大きいですね。

 

それと蔚山城攻防戦を描いた「朝鮮軍陣図屏風」

これは複製ですが、なかなか綿密に描かれていて見ごたえがありました。

 

また10分の1の大きさで復元された「安宅船」と「亀船」。

目を引き付けました。

 

1時間あまり時間をとって、じっくりと見学させていただきましたが、これが無料とは本当にありがたいですね。

 

 

本を買ってきました。

 

 

スタンプもゲット(笑)

 
 

 

 

そして、波戸岬の先端には「日中不再戦碑」が立っています。

過去の歴史を振り返り、二度と不幸な戦争を引き起こさない誓いが込められています。

 

 

玄界灘の夕日がとても綺麗でした。

 

 


 

 

 

 

         by  めりい

 

 

 


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2016.07.08 Friday 00:00 | comments(8) | - | 

名護屋城周辺の諸大名の陣跡〜佐賀県

[ 佐賀 ]

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

 

名護屋城の周辺には、秀吉の命令に従って集まってきた全国諸大名の陣跡が今も残っています。
その数はなんと130を下らないそうです。
特別史跡として整備されている場所や個人の私有地になっている所など色々ですが、現在も発掘調査や石垣修理など、保存整備事業が続けられています。

 

徳川家康陣跡

 

家康は、名護屋湾を挟んで2ヶ所の陣屋を持ち、名護屋湾の要衝を固めていました。
名護屋城に近い方の陣跡「竹の丸」に家康の本陣がおかれ、15,000の兵を駐屯させて名護屋城の守りにあたりました。


 

 

 

 

 

またこの正面の小山は、陣屋の中でも最大規模を誇る「豊臣秀保」の陣跡です。
豊臣秀保は秀吉の姉「とも」の三男で、豊臣秀次・秀勝・秀保は3兄弟です。
発掘調査もされているようなので、何か見られるかと思って奥の方まで車を進めたのですが、道がだんだん細くなったので引き返しました。
その向かい側にあるのは「堀秀治」の陣跡です。
ここはまるで公園のように、よく整備されています。

そして加藤清正陣跡

この矢印で示してある森のあたりが加藤清正の陣跡のようです。

この奥に福島正則の陣跡もあるようですが、案内板が見当たりませんでした。

 

 

 

 

また、池の向こう側正面の小山が片桐且元の陣跡。
その左側に津軽為信、右側には木村重隆の陣跡と表示されていました。

 

 

 

陣屋通りをさらに進むと・・

 

 

九鬼義隆陣跡
 
 
 

後で地図を見たら、このすぐ右手に「真田昌幸」の陣跡があったようです。

大河ドラマの紀行によると、大きな石があるようですね。

見落として残念・・・
また地図で「真田信幸」の陣跡を探してみたら、徳川家康と同じように名護屋湾を挟んで2ヶ所ありました。
当時から家康と行動を共にしていたのでしょうか?
・・・これは私の勝手な憶測です(笑)
        by めりい


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2016.07.06 Wednesday 00:00 | comments(6) | - | 

肥前名護屋城址〜佐賀県

[ 佐賀 ]

 

JUGEMテーマ:大河ドラマ


豊臣秀吉は、小田原攻めで北条氏を滅ぼし、さらに伊達政宗ら奥州の大名を服従させると、次は大陸へと目を向けました。

天正19年(1591)10月、その軍事的拠点として肥前国松浦郡名護屋(現:佐賀県唐津市)に築城を開始。
九州の諸大名を中心に動員して翌年文禄元年(1592)3月には名護屋城を完成させました。

主要な曲輪で構成される城の平面積は17万屬發△蝓外観5層の天守がそびえ、金箔瓦が輝いていたといいます。
また城の周囲には諸大名の陣屋・武家屋敷など城下町が形成され、10万人を超える将兵が在陣し、当時の名護屋の人口は20万人とも30万人とも推定されています。


文禄・慶長の両役を通じて朝鮮半島・大陸への出兵の拠点として賑わい、日本の政治経済の中心となりましたが、慶長3年(1598)に秀吉が死去するとその役割を終え、名護屋城は廃城となりました。


名護屋城址





大手口から登城坂を登ると、右手に東出丸があります。


左手には三の丸


三の丸と本丸を結ぶ道「本丸大手」


そして本丸に到着。


 


本丸のさらに高い場所に天守台跡があります。

この周辺から多くの金箔瓦が出土しているそうです。

 


天守台の向こうには美しい海と島々が見えます。

戦国大名たちは、この海を渡って朝鮮半島へと進軍しました。




そして弾正丸、二の丸を通って水手口より国道へ出て、台所丸に行きました。
太閤井戸



国道沿いを戻りながら歩くと広沢寺がありました。


ここは名護屋城の上山里丸のあたりで、秀吉の居館がありました。
秀吉は、大坂から同行した淀殿や松の丸殿、そして広沢局など側室とともに住んでいました。

その後秀吉が亡くなると、広沢局は26歳の若さで尼となって、秀吉や戦没者などの冥福を祈ったといいます。
そのゆかりで「広沢寺」という寺号になったそうです。



またここには、加藤清正が朝鮮より持ち帰ったという蘇鉄があります。


 

この石垣は、山里丸に登る山里口です。

秀吉が住んでいた上山里丸の入り口なので、何度も折れ曲がって厳重な構造になっています。

 

 

発掘調査によると、山里丸には草庵茶室や井戸・飛石などの遺構があり、また肥前名護屋城図屏風にもそのような絵が描かれているそうです。

案内板にあった「肥前名護屋城図屏風」


 

また能舞台もあったようで、秀吉自ら能を演じたと伝わっています。



    by  めりい
 






 
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2016.07.04 Monday 00:00 | comments(4) | - | 

唐津城〜佐賀県

[ 佐賀 ]


朝鮮国を主戦場とした文禄・慶長の駅は7年にも及び、慶長3年8月の秀吉の死によってようやく終結しました。

出兵の基地であった名護屋城は廃城となり、大手門は伊達政宗の仙台城へ、また天守は唐津へ運ばれて寺沢広高の唐津城になりました。




 



現在の唐津城は昭和41年に復元されたものです。

舞鶴橋から見る唐津城







 
櫓門

 
 


発掘調査によると、唐津城から名護屋城と同じ秀吉ゆかりの桐紋様の瓦が多く出土しているそうです。
名護屋城の天守は金箔瓦であったといわれているので、もしかしたら当初の唐津城も金箔瓦で燦然と輝いていたのでは??との期待もあるようです。

これは出土品を基に、復元された金箔瓦です。



 
城の中にはたくさんの展示物があったのですが、写真はNG


展望台からは、虹の松原が見えます。

これは初代藩主・寺沢広高が植林したもので、日本三大松原のひとつです。

 

この虹の松原に「秀吉のにらみ松」があるという情報があるので行ってみたのですが、あまりに広すぎて、探すのはとうてい無理でした(T_T)







 
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2014.10.24 Friday 00:00 | comments(8) | - | 

名護屋城周辺の諸大名の陣跡〜佐賀県

[ 佐賀 ]
名護屋城の周りには、秀吉の命令に従って集まってきた全国諸大名の陣跡があります。

その数は、なんと130以上あるそうです。

当時の城下町の人口は数十万であったとも言われ、町には武士や商人が行きかい、その繁栄のさまは京をしのぐほどの勢いであったと言われています。



徳川家康の陣跡

 

 

ここは通称「竹の丸」と呼ばれた場所で、本陣が置かれていました。

家康は15,000人の兵を駐屯させ、名護屋城の守りにあたりました。






 
九鬼嘉隆陣跡
 






池の向こう側正面の小山が片桐且元の陣跡です。
左には津軽為信、右には木村重隆の陣跡があります。






堀秀治の陣跡





正面の小山が豊臣秀保の陣跡





加藤清正陣跡


この案内標識の矢印に従って細い道に入ったのですが、そこから先に案内板はありませんでした。
つまり、この矢印で示している森のあたりが清正の陣跡という意味だったようです。
 

福島正則の陣跡も、車のカーナビが表示して、それらしき小山もあったのですが、案内板が見あたらないので確定できませんでした。



そして肝心の黒田長政の陣跡は・・・・見落としました(T_T)

 



 

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2014.10.22 Wednesday 00:00 | comments(5) | - | 

名護屋城〜佐賀県

[ 佐賀 ]

JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」



名護屋城(なごやじょう)は、秀吉の朝鮮進出の拠点として、壱岐や玄界灘を見渡す肥前松浦郡名護屋(現在の佐賀県唐津市)の波戸岬丘陵に築城されました。

17万屬旅大な敷地に、外見5層の天守を有し、その規模は大阪城に次ぐ城であったとされています。

この名護屋城の縄張りを命じられたのが官兵衛といわれ、長政を総奉行として天正19(1591)10月から築城が開始され、わずか5ヶ月で一応の完成を見たとされています。


 



大手口から登城坂を登ると右手に東出丸があります。


 



左手には三の丸

 




三の丸と本丸を結ぶ道「本丸大手」

 




そして本丸です。

 




 



本丸のさらに高い場所に天守台跡があります。

この周辺から多くの金箔瓦が出土しているそうで、さぞかし壮麗な天守が建っていたのでしょうね。

 

そして天守台の向こうには美しい海と島々が見えます。
晴れた日には対馬まで遠望できるそうです。


 

本丸から二の丸・弾正丸・水手曲輪を通って台所丸に向かいました。

台所丸にある太閤井戸



 




そして国道沿いを戻りながら歩いていると、山里丸跡に建つ広沢寺がありました。


 

秀吉が日常的な生活を送ったのが、この山里丸であったと言われています。
秀吉は、大阪から同行した淀殿だけでなく、松の丸殿や広沢局と呼ばれる側室らも一緒に住んでいました。

 
数年のちに秀吉が亡くなった時、広沢局は26歳の若さで尼となって、太閤や戦没者などの冥福を祈ったそうです。
そのゆかりで広沢寺という寺号になりました。


 



またここには、加藤清正が朝鮮より持ち帰ったという蘇鉄があります。

 



山里丸に登る山里口は、何度も折れ曲がって厳重な構造となっていました。

 


これで一周して、駐車場に戻りました。
見落とした場所が何箇所かあったのですが、もう一度もとに戻るにはあまりに広すぎるので、あきらめる事にしました。
 
この後、名護屋城のまわりに点在する大名の陣跡を訪ねました。





 


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2014.10.20 Monday 00:00 | comments(6) | - | 

唐津城

[ 佐賀 ]
 

唐津城

 

朝鮮侵略という無益な戦いは、慶長3年の秀吉の死によって終結しました。

出兵の基地であった名護屋城は廃城となり、大手門は伊達政宗の仙台城へ、また天守は唐津へ運ばれて寺沢広高の唐津城になりました。


 

現在の唐津城は昭和41年に復元されたものです。
舞鶴橋から見る唐津城






 

大きな藤棚がありました。

咲いたら見事でしょうね。


 

櫓門

 

 

発掘調査によると、唐津城から名護屋城と同じ秀吉ゆかりの桐紋様の瓦が多く出土しているそうです。

名護屋城の天守は金箔瓦であったといわれているので、もしかしたら当初の唐津城も金箔瓦で燦然と輝いていたのでは??との期待もあるようです。

これは出土品を基に、復元された金箔瓦です。


 
城の中にはたくさんの展示物があったのですが、写真はNG

展望台からは、虹の松原が見えます。

これは初代藩主・寺沢広高が植林したもので、日本三大松原のひとつです。

 

この虹の松原に「秀吉のにらみ松」があるという情報があるので行ってみたのですが、あまりに広すぎて、探すのはとうてい無理でした(笑)


次は、高野山の記事です。



            by merry


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2011.07.23 Saturday 15:09 | comments(6) | - | 

諸大名の陣跡

[ 佐賀 ]

諸大名の陣跡

 

名護屋城の周りには、秀吉の命令に従って集まってきた全国諸大名の陣跡があります。

その数は、なんと120を下らないそうです。

特別史跡として整備されている場所や個人の私有地になっている所などがあるそうですが、とりあえず私は、徳川家康の陣跡だけ行くことに決めていました。

 

簡単な地図をたよりに車を走らせると、意外に難なく陣跡に到着しました。

家康様のお導き?()

 



名護屋保育園の園庭に隣接しているので、入口には園児が入らないように柵が設けられています。

 

家康は文禄の役に際し、15,000人の兵を駐屯させ、名護屋城の守りにあたりました。

ここは通称「竹の丸」と呼ばれた場所で、本陣が置かれていたそうです。



また名護屋湾を挟んだ対岸の「地獄の浜」にも別陣もあり、名護屋湾の要衝を固めました。

 

さて、陣跡を見るのはこれで終わりにする予定だったのですが、車を走らせているとこんな案内標識がありました。

陣屋通り

 

しかもカーナビに次々と「○○陣跡」の表示が出るのです。

 

これは無視して通過できないですね()

カーナビ様の指示に従い、いくつかの陣跡を訪ねてみることにしました。

 

九鬼嘉隆陣跡

 



加藤清正陣跡

この案内標識の矢印に従って細い道に入ったのですが、そこから先に案内板はありませんでした。

つまり、この矢印で示している森のあたりが清正の陣跡という意味だったようです。

 

カーナビは福島正則の陣跡も表示して、それらしき小山もあったのですが、案内板が見あたらないので確定できませんでした。

 

池の向こう側正面の小山が片桐且元の陣跡です。

左には津軽為信、右には木村重隆の陣跡があります。

 

堀秀治の陣跡です。

ここはよく整備されています。


 

正面の小山が豊臣秀保の陣跡です。

陣屋の中でも最大規模を誇る広さで、発掘調査もされているようです。

何か見られるかと思って、近くまで車を進めたのですが、道がだんだん細くなるので引き返しました。

 

豊臣秀保ってあまり知られていないのですが、秀吉の姉「とも」の三男です。

つまり豊臣秀次・秀勝・秀保はだんご三兄弟だったのです。

 

さてまだまだ興味は尽きないのですが、見ていたらきりがないので、この辺で引きあげる事にしました。

 

次は唐津城です。

            by merry


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2011.07.22 Friday 11:27 | comments(5) | - | 

名護屋城跡

[ 佐賀 ]
 

名護屋城跡

 

博物館を見学の後、いよいよ名護屋城跡に足を踏み入れました。

ネットから仕入れた「探検!名護屋城跡ガイドマップ」には「まむし・むかで・はちに用心すること」と書いてあります。

どんな草深い所かと心配していたのですが、なんとこんなに綺麗に整備されていました。

 

大手口から登城坂を登ると右手に東出丸があります。


 

左手には三の丸

 

三の丸と本丸を結ぶ道「本丸大手」

 

そして本丸です。

 


 

本丸のさらに高い場所に天守台跡があります。
この周辺から多くの金箔瓦が出土しているそうです。

 

天守台の向こうには美しい海と島々が見えます。
戦国大名たちは、この島を渡って、朝鮮半島へと進軍しました。

秀勝も壱岐から対馬に渡り、さらに巨済島に渡って城を築く任務にあたっていました。
しかし急に発病して短期間で亡くなったそうです。

秀勝の死亡の日は99日とされているので、暑い時期でもあり、やはりドラマのストーリーように、傷が原因で破傷風のようなものを患ったのでしょうね。

年が若いだけに、まったくお気の毒な話です。

 

そして弾正丸、二の丸を通って水手口より国道へ出て太閤井戸を探しました。

が、これがなかなかややこしい場所にあって、難儀しました。

台所丸にある太閤井戸


 

そして国道沿いを戻りながら歩くと広沢寺がありました。


 

ここは名護屋城の上山里丸のあたりで、秀吉の居館がありました。

秀吉は、大阪から同行した淀殿や松の丸殿、そして広沢局など側室とともに住んでいましたが、なぜかまた淀殿だけが身ごもります。

これは全く不思議ですね。

 

数年のちに秀吉が亡くなった時、広沢局は26歳の若さで尼となって、太閤や戦没者などの冥福を祈ったそうです。

そのゆかりで広沢寺という寺号になったとか。

 

またここには、加藤清正が朝鮮より持ち帰ったという蘇鉄があります。これは見事ですね。

 

そして山里丸に登る山里口です。

何度も折れ曲がって厳重な構造となっています。

ここから下里丸に入れるのかと思ったら行き止まりでした。

 

これで一周して、駐車場に戻りました。

見落とした場所が何箇所かあったのですが、もう一度もとに戻るにはあまりに広すぎるので、あきらめる事にしました。

 

この後、名護屋城のまわりに点在する大名の陣跡を訪ねました。

             by merry


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2011.07.21 Thursday 15:44 | comments(5) | - | 

名護屋城博物館

[ 佐賀 ]
 

名護屋城博物館

 

台風6号が九州に接近しているという7月18日、私は秀吉が朝鮮侵略の拠点とした肥前名護屋城へ行ってきました。

とはいうものの、佐賀県ではほとんど影響はなく、風が少々強いくらいで、むしろ涼しくて快適なくらいでした。
帰りの新幹線も順調に進み、
今回の旅行はなんてラッキーなの・・と喜んでいたら・・

なんと自宅の3つ手前の駅で暴風雨のため電車がストップしてしまったのです(涙)

そんな訳で昨夜の深夜・・というより今朝早朝、なんとか無事帰還した次第です(笑)

 

さて今回の旅の一番の目的地「名護屋城跡」ってどんな所かと、ずっと楽しみにしていました。

城跡に着いたら、近くに無料の博物館があるそうなので、ちょっと寄ってみようかな?なんて軽く思っていました。

 

でも現地に行ってびっくり!

こんな立派な博物館だったのです。


 

観光客の車もいっぱい。

 

この博物館は、過去の史実を反省して、日本列島と朝鮮半島との友好・交流を目的としているそうです。


 

館内は両国の交流史をテーマに、原始・古代から、近現代までいくつかのコーナーに分かれて展示されています。

その中心は、名護屋城が築城された文禄・慶長の役関連の資料展示です。

 

私が一番興味を持ったのは「肥前名護屋城図屏風」です。

当時は大阪城につぐ規模を誇る城だったので、やはりスケールが大きいですね。

 

それと蔚山城攻防戦を描いた「朝鮮軍陣図屏風」

これは複製ですが、なかなか緻密に書かれていて見ごたえがありました。

 

1時間あまり時間をとって、じっくり見させていただいたのですが、これが無料とは、本当にありがたいですね。

ただ、見てもすぐ忘れてしまうのが私の欠点。

なので、本を買ってきました。

 

ついでにスタンプゲットです。

 

休憩コーナーから名護屋城の本丸と三の丸あたりが見えます。


さあ行くぞ!と気合が入りました。

 

次は、名護屋城を歩いた記事です。

              by merry


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2011.07.20 Wednesday 12:01 | comments(4) | - | 
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