大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。今年は「西郷どん」」を応援します!
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< April 2018 >>
商品紹介
更新履歴
記録之分類
過去之記録
最近之評論
記録之輪
友達之輪
作者紹介
余他
無料ブログ作成サービス JUGEM
桜島の見える土俵はすばらしい

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

2月4日大河「相撲じゃ! 相撲じゃ!」 相撲大会で優勝した吉之助は、殿:斉彬と一番とることになりました。当然、負けるであろうと思われた吉之助は、持ち前の正義心から殿を投げ飛ばしてしまいます。

 

その時に使われた土俵は、桜島の目の前の仙厳園に本物の土俵を造りました。その様子が4日の「週刊西郷どん」の特別付録「御前相撲 磯御殿」で見ることができます。

土俵を中心に360度見れ、桜島、島津別邸、仙厳園、相撲の撮影の雰囲気、姫たちの桟敷席もドラマ通りに造られており、土俵の周りにはドラマ関係者多数と観光客の方も居ます。

鈴木亮平さん達の鍛えられた体がぶつかり合う相撲の場面は、見ごたえがありましたが、このパノラマ写真は一見の価値があります。

 


 

今回の紀行では、集成館が紹介されていましたが、以前にも記事をアップしましたので、簡単に書いておきます。

集成館は、仙厳園の西にあります。

 
ガラス工場
斉彬は、ガラスに色んな色を着色させる技術を成功させ、薩摩切子として珍重されました。

 
反射炉
1863年の薩英戦争では、イギリス艦隊7隻相手にここで造られた大砲が大活躍しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 鹿児島 | 04:01 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
桜島は「西郷どん」のシンボル

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

第4回「新しい藩主」では、吉之助ら多くの声を背景に、斉彬は、藩主:斎興を隠居させて、自分が藩主になろうとして、ロシアンルーレットで対決することを申し出ました。(渡辺謙さん、迫真の演技でした)そして、斉彬が11代藩主となりました。

斉彬がお国入りをした場面の背景に雄大な桜島がそびえていました。

 

 

「西郷どん」では、いろんな場面で桜島が登場します。そこで、今回は、桜島について書いてみます。


 

桜島火山は有史以来頻繁に繰り返してきた噴火の記録も多く、現在もなお活発な活動を続けています。江戸時代では、安永8(1779)年から天明元(1781)年にかけて起きた大きな噴火がありましたが「西郷どん」の江戸末期には、静かにしていたようです。

 

 

幕末に桜島が登場するのは、造船所が造られて、日本最初の蒸気船が建造されたり、1863(文久3)年の薩英戦争では砲台が築かれた記録があります。西南戦争時には臨時の県庁が置かれたようです。

 

 

 

直近の大噴火は、1914(大正3)年の噴火で、その大きさが鳥居が埋没して上部だけが見える状態で保存されています。

 

 

 

 

島津別邸から 桜島と錦江湾

 

 

 

火口の見える湯之平展望所(標高337m)

 

 

 

 

 

噴火の瞬間

観光の途中に噴火がありました。

このようは小さな噴火は、常にあるようですが、始めて体験すると迫力があると同時に恐怖感もあります。

 

 

 


 

1914(大正3)年の噴火で埋没した鳥居



| 鹿児島 | 12:45 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
大久保利通生い立ちの地

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

鹿児島中央駅の近くを流れる甲突川は、街の中を緩やかに蛇行しながら錦江湾へと河口を広げています。

 


その甲突川こにかかる高見橋のたもとに、大久保利通の像があります。

フロックコートをひるがえす大久保利通の像

 

 

 

 


下加治屋町の西郷隆盛生誕地から150m、この場所に大久保利通の家がありました。
大河ドラマでは、西郷家・大久保家は隣同士という設定になっていますが、史実はそうではありません。

 


大久保利通は、甲突川を挟んだ対岸にある高麗町で生まれましたが、まもなく下加治屋町に移り住み、西郷隆盛と同じ郷中となりました。
西郷と大久保は、薩摩藩独特の「郷中教育」で遊びや勉学を共にし、親交を深めました。

大久保利通生い立ちの地

 

 

後に2人は倒幕に奔走し、ついに明治維新を達成させます。

大久保利通は、西郷隆盛、木戸孝允と並び明治維新の3傑と言われ、明治政府の中心的役割を果たしました。

 

 

 

 

 

 

 


お城・史跡 ブログランキングへ

応援のクリックお願いします。m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 鹿児島 | 10:46 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
西郷隆盛誕生地

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

 

鹿児島市加冶屋町は、明治維新に西郷隆盛・大久保利通など多くの偉人を輩出した土地です。

「西郷隆盛誕生地」は、その加冶屋町の一角にあります。


 

 

1827年(文政10年)西郷隆盛は、鹿児島城下の下加治屋町で、西郷吉兵衛の長男として生まれました。
西郷家は、武士の身分を10段階に分けた中で下から2番目の「御小姓与」と呼ばれる下級武士で、石高は47石だったといいます。

 

 

当時47石という数字は、御小姓与の中では多いほうだったそうですが、祖父母・両親そして次々生まれる弟・妹の合計11人の大家族を支えるにはかなり厳しかったようで、生活は大変苦しかったと伝わります。
西郷隆盛が子どもの頃は、一枚の布団を兄弟で取り合ったという逸話も残ります。

また安政2年に、下加治屋町のこの屋敷を売って上之園で借家住まいをしたことから、当時多額の借金があったことが伺われます。

 

「西郷隆盛君誕生之地」の碑

 

 

その横に「西郷従道誕生地」の碑もあります。

 

西郷従道は西郷隆盛の弟で、 兄と共に「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」を戦いましたが、「西南戦争」の時には兄の元へは行かず、政府に残る道を選択しました。

そして文部卿・陸軍卿・農商務卿・元老・海軍大臣・内務大臣・貴族院議員を歴任しました。
 


生誕地の片隅に、東京目黒区から寄贈された庭石があります。

 

西郷従道は、明治7年に兄の隠棲所として、東京の目黒に土地を買い求めましたが、西南戦争による隆盛の死のため目的が果たせませんでした。
しかし、その後明治33年までは別邸として、それ以降昭和16年までは本邸として使用されました。
庭園は、大きな池と斜面の滝を中心とした広大なもので、明治時代を代表する庭園として高い評価を受けていました。
これはその西郷従道邸跡が公園に整備されるのに伴い、庭園にあった石を移設したものです。

(案内板より抜粋)

 

 

 

 

 

 

 


お城・史跡 ブログランキングへ

応援のクリックお願いします。m(__)m

 

 

 

 

 

 

 

 

| 鹿児島 | 00:00 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
第二回西郷どん 二つの対立

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

第二回では、いよいよ主役の西郷どん:鈴木亮平さんが走りだしました。

ストーリーは、二つの対立がメインでした。

 

 

 

年貢取り立ての補佐役に任命された吉之助は、農民から過酷な年貢徴収する現場を見て、「百姓を豊かにしてやらないと国は繁栄しない」と古い仕来りを改革しようと立ち向かっていきます。
斉彬(なりあきら)は、外国の勢力に対抗するには、大砲を製造して軍備を備えないと国は滅びると父:斎興に進言するが藩の財政を考えたらそんな莫大な出費はできないと退けられました。それに反発した斉彬は、江戸に帰ると出発してしまいます。


 
斉彬が江戸へ出発した時の赤門(錫門)は、島津別邸の仙厳園にあります。


 
仙厳園に建てられた望嶽楼(ぼうがくろう)

 
島津家家紋

 
仙厳園に造られた集成館(工場)
ストーンホーム=石で造られた家
島津では、このころから英語が使われていました。

 

 

アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたのを知った28代斉彬は、外国に対抗するために仙厳園に洋式の工場群を建設しました。

 


 

 


 

| 鹿児島 | 02:38 | comments(3) | - |- pookmark↑PAGE TOP
島津忠良公のいろは歌

JUGEMテーマ:大河ドラマ

「西郷どん第一回紀行」の中で「いろは歌」の紹介がありましたが、よくわからなかったので調べてみました。

「島津義弘.COM」様のサイト(下記にリンクあり)に詳しく紹介されていました。

 

「日新公のいろは歌」
島津義弘の祖父でもある島津 忠良(ただよし)(号は日新斉・じっしんさい)が、5年余の歳月をかけ完成させたという薩摩藩の「郷中(ごちゅう)教育」の基本の精神となった47首の歌です。今でも、学校の朝の日課として使われています。その一部を紹介します。

 
●島津義弘 関ケ原の戦いで西軍に加担した島津軍300人は孤立状態となり、その状態を打開するため、的中突破を行った時の大将です。
●島津忠良:戦国時代の武将 1492年〜1568没
 竹田神社内に忠良公のお墓といろは歌歌碑があります。
●郷中教育 薩摩藩独特の町単位の子供の教育制度


 
「いろは歌 最初の歌」一部を抜粋しました)
「い」 いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし
昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけでは、役に立たない。 実践、実行することがもっとも大事である。


「か」 学問はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそ なほ静かなれ
学問をするには朝も昼も間断なく修めなければならない。特に夜は静かで 勉強しやすい。無駄な時間を過ごすのではなく、しっかり勉強するべきだ。

 
「く」 苦しくも直進を行け九曲折の 未は鞍馬の さかさまの世ぞ
どんなに苦しくても、悪事を行ってはいけない。正道をいきなさい。鞍馬のつづら折の道のように曲がった道を歩んだものは、まっさかさまに闇の世界に落ち込むような目にあうものである。心正しい正道を歩みなさい。

 
「いろは歌 最後の歌」
す」 少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなく 十六夜の空
少し足りないぐらいを満足とすべし。月も満月の次の十六夜の月は欠け始める。足るを知って楽しむ心が大事である。禅の「吾唯足知」に通じる教訓。
 

 


 
竹田神社(日新寺跡)
鹿児島県南さつま市加世田武田17932

 

 

 

 

| 鹿児島 | 03:41 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
大河ドラマ西郷どん 第一回(1月7日)

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

今年の大河ドラマ「西郷どん」がスタートしました。

 

このブログとしては、鹿児島の史跡の紹介をしていきたい所ですが、ネタがほとんどなく困っています。そこで以前にブログで使った「篤姫」の史跡などを再登場させながらなんとかこのブログを維持していこうと思っています。新しい史跡の紹介は少ないと思いますが、暖かい気持ちでご訪問してくださいますようお願い申し上げます。

 


 

第一回「薩摩のやっせんぼ(弱虫で意気地のない男の子)」が放送されました。西郷の子供時代を斉彬とからめたストーリーとなっています。子供の会話が鹿児島弁なので意味が分かりませんでしたが、鹿児島の雰囲気がでていました。


 

斉彬も見た錦江湾と桜島、島津別邸からよく見えます。


 
錦江湾に面した島津別邸

 
別邸から見た錦江湾と桜島

 
別邸の庭:仙厳園

 
倒幕に使われた大砲は、このころから用意されていたようで、立派な反射炉もありました。
 

 

 
反射炉


島津別邸(仙巖園)
| 鹿児島 | 15:46 | comments(5) | - |- pookmark↑PAGE TOP
西郷隆盛銅像〜鹿児島
JUGEMテーマ:八重の桜


 
城山の麓に、西郷隆盛の銅像が建っています。

西郷銅像

まるで、桜島を見据えるかのように、遠くを見ています。
身長5m.余り、台座も含めると8m.もあるそうです。
銅像サイズ

西郷隆盛は、実は写真嫌いで、一枚も写真が残ってないそうです。
我々の知っている肖像画は、弟の西郷従道と従弟の大山巌を合わせてモンタージュしたものなのです。
その肖像画をもとに建設されたのがかの有名な東京上野の西郷銅像。
明治31年の除幕式には西郷隆盛の線子夫人も参列されたそうですが、像を見るなり
「あれまあ、家の人はこんな人ではなかったのに」とおっしゃったそうです。
                        海音寺潮五郎「西郷隆盛」より引用


さて、鹿児島の銅像は昭和12年に完成したものです。
果たして実物の西郷隆盛に似ているのかどうか・・
もう今では知る人もないでしょうが、似ていて欲しいものです。




お城・史跡 ブログランキングへ

FC2ブログランキング


応援のクリックお願いします。m(__)m





| 鹿児島 | 00:00 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
南州公園〜西南戦争
JUGEMテーマ:八重の桜


 桜島を見渡せる高台に南州公園があります。
「南州」とは西郷隆盛の雅号であり、公園には、西郷隆盛ら西南戦争で戦没した人々を葬った「南州墓地」、西郷隆盛を祭る「南州神社」、そして没後100年を記念して建てられた「西郷南州顕彰館」があります。
次のバスの時間まで30分しかないので、南州墓地だけ訪ねる事にしました。

長い階段を上がると鳥居が見えてきます。
この向こうに、西南戦争で敗れた将兵2023人が眠っているのです。
南州神社の鳥居


西郷隆盛のお墓は、西郷を中心にスクラムを組んでいるようにがっちりと団結しています。
まるで西郷隆盛の人となりを表わしているようですね。

向かって左が桐野利秋、右が篠原国幹。
他に村田新八や別府晋介など幹部の名前が並んでいました。
南州墓地


西郷隆盛のお墓だけをアップに撮るとこんな感じ

西郷隆盛のお墓


また、墓地の片隅には少年兵の墓地もありました。
齢14歳と刻まれているのが痛ましい・・
少年兵のお墓


振り返ると、錦江湾に浮かぶ桜島が見えました。
西郷さんは、ここから毎日この景色を見ているのかなと思いながら、次のバスに足速に向かいました。
南州公園から見る桜島





お城・史跡 ブログランキングへ

FC2ブログランキング


応援のクリックお願いします。m(__)m






| 鹿児島 | 00:00 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
西郷隆盛終焉の地〜西南戦争
JUGEMテーマ:八重の桜


城山の麓に、西郷隆盛が生涯を閉じた場所があります。
終焉の地1


西郷洞窟を出てわずか300m 
2発の銃弾が西郷の腰と大腿骨を打ち抜き、途は閉ざされたのです。
「晋どん、もうここらでよか」
東を向き、皇居を伏し拝む西郷に、別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされました。
1877年(明治10年)9月24日、西郷隆盛49歳。
(案内板より抜粋)

終焉の地2

故郷を死に場所に選んだ西郷隆盛の思いは如何ばかりだったでしょう。
胸に迫るものがありました・・合掌





お城・史跡 ブログランキングへ

FC2ブログランキング


応援のクリックお願いします。m(__)m





| 鹿児島 | 00:00 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP