大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。今年は「西郷どん」」を応援します!
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篤姫と西郷の仲は???

JUGEMテーマ:大河ドラマ

篤姫と西郷どんの関係はどうだったのでしょうか

 

ドラマでは、西郷どんが薩摩藩邸に務めていた時、大地震が起こり、西郷が身を挺して篤姫を守った。その時篤姫が「私を連れて逃げて・・・・」と西郷に言いました。

 

その後、実家の薩摩藩軍に攻められた篤姫は、実家を憎みますが、新政府軍の強さを感じて、政府軍の最高責任者:西郷宛に「徳川家の救済、江戸での戦いを避けるよう」手紙で懇願しました。

 

彼女のこの行動で、まだ篤姫に熱い思いを抱いていた西郷が、勝海舟と直談判して江戸城無血開城につながったのでしょう。

 

篤姫は、藩主島津家の分家にあたる今和泉島津家で生まれ名は於一(おいち)とも呼ばれていました。



 
今和泉駅



 
篤姫海岸


篤姫の名は地元名産品のその名が残っています。
  


 
篤姫も桜島を見ていました

 



 

篤姫は夫:13代将軍:家定の亡き後、天璋院と名を変えて過ごしましたが、最後は脳溢血で亡くなりました。享年:48歳 

実家:薩摩藩に嫁ぎ先の徳川家を滅ぼされたとの思いがあってか一度も鹿児島に帰ることはありませんでした。
 

| 鹿児島 | 13:16 | comments(2) | - |- pookmark↑PAGE TOP
私学校跡〜鹿児島市

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

 

遣韓使節問題決裂で辞表を出した西郷隆盛は、帰郷して一介の農夫として静かに暮らそうとしました。
ところが桐野利秋・篠原国幹などの将官をはじめ、薩摩出身の多数の将士が職を辞し、西郷の後を追って続々と鹿児島へ帰郷しました。
しかし帰郷したものの、この若者たちには目的も職もなく、毎日無為に過ごすしかない状態。
そこで1874年(明治7)6月、彼らを指導・教育するために「私学校」が設立されました。

 

 

鶴丸城の厩跡に篠原国幹が監督する銃隊学校と村田新八が監督する砲隊学校。これを本校として県内各地に分校が設けられ、その費用は県令・大山綱良のはからいで県庁から支給されました。
銃隊学校・砲隊学校の他に、西郷らの賞典禄(戊辰戦争の賜金)を運営費とした賞典学校も設けられました。
オランダ人やイギリス人教師を招いて幅広い教育を施し、5人の生徒をヨーロッパに留学させています。
また庄内藩からは、西郷の人徳を慕って2名が入学しています。
この他、旧教導団の生徒を収容して、原野を開墾して農作物をつくる「吉野開墾社」も設立され、西郷隆盛も開墾に従事しました。

 

 

しかし私学校は軍事教育、精神修養の団体という傾向が強く、やがて年々強大化して反政府の気運を高まらせ、ついに過激派生徒が暴走。
政府火薬庫の襲撃によって西南戦争を引き起こし、私学校はわずか4年でその歴史をとじました。
石垣には政府軍の凄まじい攻撃を物語る散弾の跡が残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 


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| 鹿児島 | 13:14 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
佐賀の乱に敗れた江藤新平が西郷を訪ねた鰻温泉

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西郷隆盛は、指宿の鰻湖畔にたたずむ江戸時代から続く温泉地である鰻温泉をこよなく愛し、幕末から明治にかけて、幾度も湯治に訪れたといわれています。

IMG_9179 鰻温泉

IMG_9190 鰻温泉

明治7年、征韓論に敗れ,鹿児島に帰ってきた西郷が突然、犬13匹を連れて鰻湖畔に泊まりに来て、約一月滞在しました。

IMG_9243 西郷南洲翁逗留の家

IMG_9209 西郷滞在記

昼は開聞岳辺りへ猟に出かけたり、近所の子どもたちと遊んだりして、毎晩温泉に浸かり、福村市左衛門宅に逗留しました。
この時、佐賀の乱に敗れた江藤新平が西郷を訪ね、新政府打倒に向け協力を依頼しましたが、西郷はこれを断りました。

一ヶ月の滞在後、西郷は、滞在した福村家に御礼として犬を1匹差し上げようと申し出たところ、宿主が犬は怖いからと断られ、代わりに西郷が着ていたフランネルのシャツを残していきました。

そのシャツは、現在「いぶすき西郷どん館に展示されています。

IMG_9155 いぶすき西郷どん館

福村家にはこの他、金箔塗りの陶磁製大皿、鉄砲の洗浄棒などもが残されているそうです。

IMG_9245 西郷南洲翁逗留の家

ここに、佐賀の乱に敗れた江藤新平が訪れ、西郷と激論したといわれています。

IMG_9244 西郷南洲翁逗留の家

西郷南洲翁逗留の家
   征韓論に敗れた南洲翁が、鰻温泉を訪れたのは明治7年1月の末、
  供と猟犬をつれて、この福村市左衛門方に逗留した。
   毎日狩猟に出かけ、夜は読書し、雨の日は村の子供達と遊んだという。
   佐賀の乱に敗れた江藤新平が訪れ、大義に生きる翁と、国を憂い激論した
  といわれる。

   福村家には翁が愛用したシャツが家宝として残されている。
               昭和52年9月  山川町観光協会

 


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| 鹿児島 | 06:00 | comments(2) | - |- pookmark↑PAGE TOP
西郷・大久保の座禅石

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鹿児島護国神社から坂道を約200mほど城山団地方面にのぼって行くと、坂の途中にこの看板があります。

IMG_9573 座禅石

ここを曲がると、座禅石公園という小さな公園があります。

IMG_9574 座禅石

IMG_9575 座禅石

 



この公園には、若き日の西郷隆盛、大久保利通はじめ精忠組のメンバーが、座禅を組んで修行したという西郷・大久保の座禅石があります。

IMG_9580 座禅石

石は現在の国道3号線沿いの誓光寺の庭にあったもので、西郷、大久保をはじめ、当時の若き志士たちが誓光寺の住職であった円了無参の教えを受け、日夜座禅し、修行に励んだといいます。
昭和52年(1977)、鹿児島市の記念物(史跡)に指定されました。

座禅石の横には「南洲・甲東参禅之處・・・」と刻まれた記念碑が立っています。

IMG_9581 座禅石

IMG_9587 座禅石

西郷・大久保座禅石「志を鍛えた石」 −西郷・大久保ら精忠組の青春−
 
西郷隆盛や大久保利通の青春時代をじっと見守った人物がいました。

 草(そう)牟田(むた)誓光寺(せいこうじ)の住職円(えん)了無参(りょうむさん)和尚といい、城下南林寺や島津家菩提寺福昌寺の住職を勤めた名僧です。

 当時、薩摩藩は、次の藩主をめぐって斉彬を押す一派と久光派が対立。

 ついに久光の実母であるお由羅の暗殺計画へと発展しました。

 首謀者の一人赤山靱負(1850年3月切腹)は、可愛がっていた西郷への血染めの肌着を残して切腹。大久保の父は喜界島へ流罪になりました。

 下級役人の仕事を黙々とこなし、仲間と「近思録(きんしろく)」(朱子学の書物)を読み、誓光寺で座禅を組んでいた2人に最初の試練が訪れたのです。

 揺れ動く藩政の中で、座禅によって自分を見つめ直すことは、大きな時代の流れを見極める助けとなりました。

| 鹿児島 | 17:33 | comments(2) | - |- pookmark↑PAGE TOP
篤姫誕生地 「島津本宗家の菩提寺・福昌寺」

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福昌寺は、応永元年(1394年)、島津氏第7代当主島津元久が一族出身の僧・先に妙円寺 (日置市)を建てた石屋真梁を開山として招いて建立され、その後代々の島津氏当主の墓が建てられるようになり島津本宗家の菩提寺となりました。

墓地には島津家第6代の師久(薩摩)、氏久(大隅)から、第28代斉彬までの墓があります。

 



天文15(1546)年、忍室和尚の時には、後奈良天皇の勅願寺となり、同18(1549)年にキリスト教を伝えたザビエルが鹿児島滞在中、忍室和尚と宗教上の問答を行ったところでもあります。住職の中には若い時の西郷隆盛大久保利通を指導した無参和尚もいました。

江戸時代の『三国名勝図会』によると、最盛期には1500人の僧侶がいたといいます。
明治の廃仏毀釈により薩摩国大隅国など旧薩摩藩領内にある寺はほとんどが破壊されましたが、福昌寺は島津氏の菩提寺ということで特別に残っていたのですが、島津忠義の妻・暐姫(島津斉彬の長女)が1869年に亡くなり葬儀を神式で行うことになった際に福昌寺も破壊されることが決定したそうです。

寺跡には昭和23(1948)に玉龍高等学校が建てられました。墓地の後背地の部分にはキリシタン墓地があります。
(かごしまデジタルミュージアムより)

本堂などはありませんが、島津家の墓所はこの案内図の通り残されています。



島津斉興の墓




島津斉興
幕末の第11代薩摩(鹿児島)藩主,第27代島津家当主。通称は豊後守,大隅守。官位は従三位参議。第10代藩主斉宣の長子として江戸で生まれたが,「近思録崩」(「文化朋党事件」)により文化6(1809)年に斉宣は隠退し斉興が19歳で襲封した。文政3(1820)年までは祖父重豪の後見を受け,そののちも天保4(1833)年に重豪が死ぬまで,重要事項についてはその指図の下にあったが,文政10年には調所広郷を起用して藩債500万両の整理に乗り出した。斉興の後継者をめぐっては嫡長子の斉彬と,斉興の愛妾お由羅の方の子久光とが競い,嘉永2(1849)年には藩内有識者や青年藩士らが斉彬を擁立すべく行動したことから「お由羅騒動」(「嘉永朋党事件」)と呼ばれる御家騒動に発展し,多くの処罰者を出した。しかし斉彬の襲封を期待する阿部正弘政権下の幕府の圧力によって,斉興は同4年に隠退に追い込まれた。隠居後は鹿児島の玉里御殿で余生を送った。(コトバンクより)

お由羅の方の墓



島津斉興の側室。
江戸の薩摩(さつま)鹿児島藩邸の奥女中であったが,藩主斉興の寵愛をうけ久光を生む。斉興の嫡男斉彬と久光とのあいだの継嗣問題が藩内の勢力争いとむすびつき,世にいうお由羅騒動がおきた。慶応2年死去。(コトバンクより)
法名「妙浄寛忍大禅定尼」

薩摩藩第11代藩主 島津家28代当主 島津斉彬(右)と夫人の英姫(左)の墓

 






島津斉彬
文化6年9月28日生まれ。島津斉興(なりおき)の長男。嘉永(かえい)4年(1851)薩摩(さつま)鹿児島藩主島津家11代となる。藩営の工場集成館を設立し,殖産興業,富国強兵策をすすめる。養女篤姫(あつひめ)(天璋院)を将軍徳川家定の正室にして,幕府への発言力をつよめる。将軍継嗣問題では西郷隆盛らをもちいて一橋慶喜(よしのぶ)擁立運動をすすめたが,安政5年7月16日急死。50歳。初名は忠方。通称は又三郎。号は惟敬,麟洲。

島津久光

 

 

島津久光
文化14年10月24日生まれ。島津斉興(なりおき)の5男。母はお由羅。薩摩(さつま)鹿児島藩重富領主。異母兄斉彬(なりあきら)の遺命で子の忠義が鹿児島藩主となると,本家に復帰して国父とよばれ藩政の実権をにぎる。文久2年(1862)兵をひきいて京都にはいり,藩の尊攘(そんじょう)過激派を弾圧(寺田屋事件)。また,勅使大原重徳(しげとみ)を奉じて江戸に行き幕政改革を実施させるなど,公武合体運動をすすめる。帰途,生麦事件が発生し,薩英戦争をまねいた。維新後,内閣顧問・左大臣に就任したが,保守的意見がいれられず,明治8年隠退した。明治20年12月6日死去。71歳。初名は忠教。通称は又次郎。号は双松など。 (コトバンクより)

 


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| 鹿児島 | 00:00 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
篤姫誕生地 「今和泉島津家本邸跡〜大龍寺跡」

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かごしまシティービューで今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)前で下車し、篤姫誕生地を散策しました。

IMG_8807 篤姫誕生地

篤姫の生家である今和泉家の本邸跡です。

IMG_8802 篤姫誕生地

屋敷自体は既になく、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っています。

IMG_8803 篤姫誕生地

IMG_8804 南洲門前通り地区

塀に沿って歩いて行くと、すぐに見えてきたのが大龍寺跡

IMG_8813 大龍寺

この辺りは、もとは島津15代島津貴久にって築城された内城の跡で、15代貴久、16代義久、18代家久がこの地を居城としていました。慶長7年(1602)家久は鶴丸城を築き移転。廃城となったその跡地に大龍寺が創建されました。

それは、貴久の号の「大中」と義久の号「龍伯」の一文字ずつをとって名づけられたのでした。(鹿児島観光サイトより)

IMG_8814 大龍寺

蓑懸松
IMG_8815 大龍寺

IMG_8810 大龍寺

儒僧文之和尚開山 大龍寺の遺址
IMG_8811 大龍寺

大龍寺を開山した南浦文之和尚(ぶんしおしょう)は、文之和尚は、安土桃山・江戸初期の禅僧で、島津藩の外交に貢献しました。弘治元年(1555年)日向国南郷外浦に生まれ、島津義久・義弘・家久に仕えて島津家の政治・外交に活躍しました。 鹿児島の大竜寺の開基や鎌倉の建長寺の住職も勤めましたが、朱子学に秀で漢籍の訓点を施し、後世まで「文之点」として日本儒学の発展に貢献しました。また、鉄砲伝来の様子を資料や伝承によりまとめた「鉄炮記」も著しています。 (姶良市観光協会サイトより)

東郷平八郎揮ごうによる文之和尚の記念碑
IMG_8812 大龍寺


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| 鹿児島 | 01:17 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
龍馬・おりょうさんの新婚旅行 霧島神宮

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9月2日大河「糸の誓い」の紀行で龍馬がおりょうとの新婚旅行で行った霧島神宮が紹介されていました。

霧島神宮の創建は6世紀ころで、現在の社殿は、1715年島津氏によって再建されたものです。

 

霧島神宮本殿


 
霧島神宮内にある龍馬・おりょう新婚旅行記念パネル

 
今から152年前に龍馬が妻:おりょうさんとこの神宮を尋ねたと姉乙女への手紙に書かれています。この88日間の旅が日本最初の新婚旅行と言われています。

 
龍馬もおりょうさんも見た樹齢800年の御神木、南九州の杉の先祖と言われています。

 

 
| 鹿児島 | 00:01 | comments(3) | - |- pookmark↑PAGE TOP
龍馬とお龍さんが遊んだ「犬飼の滝」

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龍馬は大変筆まめな人で、新婚旅行中にも乙女姉さんに宛てて手紙を送っています。

その中に「蔭見の滝其の布は十間も落ちて、中程には少しでもさわりなし。この世の外かと思われ候ほどのめずらしき所なり」とあります。

 

この「蔭見の滝」とは、「犬飼の滝」の事です。

132_3258.JPG

 

龍馬たちは塩浸温泉に滞在中、何度もここを訪れたようです。

 

瀧見台から見た「犬飼の滝」

 

滝つぼまで遊歩道があるので、近くまで降りて行きました。

 

 

高さ36m 滝幅21.8m 近くで見ると、すごい迫力です。

 

龍馬の手紙は続きます。

「此処に十日計も止まりあそび、谷川の流れにて魚をつり、短筒をもちて鳥をうちなど、まことにおもしろかりし」

 

 

滝や川の流れを見ていると、龍馬とお龍さんが楽しく遊ぶ姿が目に浮かびます。

幕末の動乱を生きた龍馬の短い生涯の中で、一番楽しいひと時だったのでしょうね。

 




 

 


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| 鹿児島 | 10:33 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
龍馬とお龍さんが滞在した「塩浸温泉」

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京都 寺田屋で襲撃された龍馬は、薩摩藩邸に匿われ、九死に一生を得ました。

そして左手に負った傷の治療のため、お龍さんを伴って、西郷隆盛らと共に鹿児島に向かいました。

この二人の旅が、日本で最初の新婚旅行と言われています。

 

 

鹿児島と言えば、温泉天国。

その中でも、龍馬たちが一番長く逗留したのが霧島市にある「塩浸温泉」です。

「塩浸」とは、まさに刀傷に薬効がありそうな名前ですね。

 

坂本龍馬・お龍 新婚湯治碑

 

 

公園前の石坂川の河川敷に、龍馬が入ったと伝わる湯船が残っています。

 

 

ズームアップすると・・・

実はこの写真を撮ったのは8年前、龍馬公園が出来てすぐの事でした。

今はもっと綺麗に整備されているようです(*^。^*)

 

 

132_3281.JPG132_3281.JPG

公園には「龍馬資料館」や「日帰り温泉施設」そして「足湯」などがあります。

足湯は無料。もちろん入りましたよ(^^♪

ぬるめのお湯が疲れた足を癒してくれました。

 

 

龍馬たちは、ここに滞在しながら、犬飼の滝に度々出かけていたようです。

その記事は次回に。

 

 

 

 


 

 

 


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| 鹿児島 | 00:00 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
西郷南洲翁宅地跡

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鹿児島中央駅から「ナポリ通り」を東に向かいます。

 

 

ナポリ通りとは、鹿児島市と姉妹都市であるナポリから名付けられたそうです。



4月初旬、通りに植えられたツツジが綺麗に咲いていました。

この通りを約200ほど歩いたところに共研公園があります。

 





この公園の入り口あたりが、西郷一家が安政2年(1855)から明治2年(1869)まで暮らした西郷南洲翁宅地です。



西郷隆盛は、下鍛冶屋町(現在の加治屋町)の下級藩士の屋敷に生まれ、青年期までを過ごしました。

安政2年(1855)12月、加治屋町の屋敷を売却し、この上之園町の屋敷に移ってきます。

明治2年(1869)7月、武家屋敷に移るまでここで十数年過ごしました。



by しずか

 

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| 鹿児島 | 07:54 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP