JUGEMテーマ:大河ドラマ
秀吉の花見といえば文禄三年(1594年)吉野の花見と慶長三年(1598年)の醍醐の花見が有名である。
秀吉は、吉野の花見には、徳川家康、前田利家、伊達政宗らの武将をはじめ、茶人たちを伴い、総勢5千人を引き連れ吉野山を訪れた。
この年、吉野は雨続きで、秀吉が入山してからも三日間雨が降り続いた。苛立った秀吉は、吉野山に火をつけて下山すると言い出した。吉野の全山の僧侶たちが晴天祈願をしたところ雨がやみ、晴れあがり、盛大な花見が行われたという。
吉野の吉水神社に、一目千本という看板がある。ここからの景色を見た秀吉は「絶景じゃ。絶景じゃ。」と子供のように喜んだという。
吉野山の桜が色とりどりなのには理由がある。
吉野の花見の前年、吉野へ視察に出かけた秀吉は、山桜中心の桜の山に彩りを加えるために、数千本の枝垂桜を植樹したのだという。
吉野山の桜には秀吉の功績があったともいえる。
年月を心にかけし吉野山 花の盛りを今日見つるかな(秀吉)
秀吉の花見の際、吉水神社が花見の本陣となり、秀吉やねねが宿泊した。
境内の庭ではお茶会、お能の会、歌会なのが催され、この日のために、狩野派の有名な絵師が襖絵や障壁画を描き、建具も取り替えられたという。
このことからも、いかにこの花見が盛大なものであったかがうかがえる。
吉水神社にて
秀吉の花見に際し修理したという後醍醐天皇玉座
吉水神社には、秀吉が数日滞在した豊太閤花見の本陣をはじめ、豊臣家ゆかりの品が展示されている。
豊太閤花見の本陣
狩野永徳 桜の図
狩野山雪 竹の図
豊臣秀長公花押
豊臣秀頼公寄贈の湯釜
ここを訪れたのは、数年前のことですが、桜が下千本から奥千本に向かって、徐々に山を染め上げる景色は忘れることができません。
また機会があれば、吉野へ行ってみたいと思います。
by shizuka