JUGEMテーマ:大河ドラマ
下市田の中央にある段丘上に位置する松岡城は、松岡氏一族の築城と伝えられ、主郭・二の郭〜五の郭からなる連郭式の城です。
築城時期は定かではありませんが、南北朝の戦乱の頃ともいわれ、その後戦国時代に大きな修築が加えられたと考えられています。
500年間にわたって、松岡氏の本拠地となりましたが、1588(天正16)年、同氏の改易により、廃城となりました。
現在、城址は畑になっていますが、堀の遺構は残されています。
松源寺本堂見学後、四の堀から本丸までを見学しました。
四の堀
三の堀
ぶどう畑
二の堀
一の堀
本丸跡
本丸からの眺め
亀之丞もこの景色を眺めていたのでしょう。
松岡家の断絶と井伊直政
1585(天正13年)松岡貞利(17代)は、徳川方でしたが、豊臣方の小笠原貞慶の誘いになり、高遠城攻めに向かいました。
途中で引き返しましたが、家臣の座光寺為真が伊那郡司・菅沼定利に密告し、それにより貞利は知久平城に監禁されてしまいます。
駿府の家康の面前で、裁判が行われ、改易・切腹が決定しましたが、井伊直政の嘆願により、命は救われました。これにより松岡家は断絶となりました。
(南信州新聞社パンフレット参照)
直政にとっては、父・亀之丞(直親)を匿ってくれた松岡氏に恩を返したことになりますね。
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