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NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」
先週、荒木村重の息子・岩佐又兵衛についての記事をアップしましたが、それからまもなくMOA美術館所蔵「岩佐又兵衛作品集」と宮内庁三の丸尚蔵館所蔵「小栗判官と照手姫」を購入ましたので、それらの本からの画像や、新たに付け加えた解説を合わせてご覧ください。
天正6年(1578年)、
岩佐又兵衛は、伊丹の有岡城主・
荒木村重とだしとの間に誕生。
生れた翌年の天正7年(1579年)、村重は織田信長に謀反を企て、失敗。(有岡城の戦い)。
落城の際、城の残された荒木一族・郎党は惨殺されましたが、
幼子であった又兵衛は乳母に救い出され、京都の本願派寺院あるいは石山本願寺に保護されました。
10歳になった又兵衛は、天正15年(1587年)秀吉が催した北野大茶会を見たことを後に自らの紀行文「廻国道之記」に記しています。また、二条は関白前太政大臣明実公の御所に出入りし、詩歌、管弦、酒宴の遊舞を見聞したとも。
成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、信長の息子織田信雄に近習小姓役として仕え、信雄の改易後は「
勝以」と改名し、
京で絵師の修業を積んだといいます。
山東京伝の「追考浮世絵類考」には、狩野内膳に絵を習ったとあります。
内膳の父は、荒木村重の家臣だったそうで、その関係から絵の手ほどきを受けた可能性もあるでしょう。
また、川越仙波東照宮に奉納された「三十六歌仙図扁額」の裏面には、土佐光信末流と記されているとも。
又兵衛の描く人物には、豊かな頬と長い顎を持ち「
豊頬長頤(ほうぎょうちょうい)」と形容される独特な画風があり、
「浮世絵」「大津絵」の源流となったともいわれています。
又兵衛自画像
「
洛中洛外図屏風 舟木本」(東京国立博物館所蔵)は今日では又兵衛が制作に関わったのではないかといわれています。
又兵衛40歳の頃、徳川家康の孫にあたる福井の北之庄藩主・
松平忠直に招かれてこの地に移り、20余年を過ごしました。
舟木本の後に描かれたとされる「豊国祭礼図屏風」は、慶長9年(1604)豊臣秀吉の七回忌に行われた豊国社臨時祭礼を題材とした作品で、又兵衛によるものと推定され、屏風の発注者は、忠直ではないかとされています。
忠直は、大阪夏の陣では真田幸村らを討ち取るなど戦功を挙げましたが、戦後の論功行賞に不満を抱き、次第に家臣を討つなどの乱行が目立つようになったといいます。
忠直の改易後、弟の忠昌が後を継ぎ、又兵衛はそのまま福井に留まりました
この忠直との出会いが又兵衛独特の画風を生んだのか。
または自身の生い立ちのせいなのか、又兵衛の絵巻には、彼独特の画風が表れています。
『山中常盤』
神田・神保町の古本屋で、昭和3年に売り出された絵巻を、あるドイツ人が買おうとしていたのを、貴重な文化財の海外流失を食い止めるため、ある出版社の代表が全財産を投げ打って買い取ったという曰くつきの絵巻なのだそうです。
奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前が、山中の宿で盗賊に殺され、牛若がその仇を討つという物語。
奥州に到着した牛若
牛若を追う常盤御前
道中の宿屋で、盗賊に襲われる常盤御前
肌を隠す小袖を返すか、さもなけれな命を奪えと訴える常盤御前を盗賊は無残にも刺してしまう。
侍従は常盤を抱き、さめざめと泣く。
宿屋の主人に、自らの身分と名を明かす常盤。
奥州にいた牛若は、夢枕に立った母のことが気がかりで都へ向かう。
立ち寄った宿屋の主人から、母のことを聞き、盗賊に復讐する。
『堀江物語』
東国豪族間の紛争を舞台に、父母の仇討ちと堀江氏の再興を果たす物語
『浄瑠璃物語』
奥州へ下る牛若と三河矢矧の長者の娘浄瑠璃との悲恋物語。
15歳の春、鞍馬を出た牛若は奥州を目指す。
浄瑠璃姫と出会い、恋に落ちる牛若
しかし、先を急がなければならない牛若は、浄瑠璃姫と別れる。
その悲しさと旅の疲れからか、牛若は病に。
源氏に伝わる宝物が、大蛇、白鳩、烏、小童に姿を変え、牛若を守る。
後に浄瑠璃姫を再会した牛若は、平家討伐の暁には、浄瑠璃姫を北政所にすることを約し、大天狗・小天狗に姫を送り届けるように頼む。
『小栗判官』
戦に敗れ常陸の国に逃れた小栗判官と、相模の大富豪、横山家の長女 照手姫との悲恋物語。
これらの絵巻には、
愛と復讐の物語というテーマで、凄惨な合戦場面や惨酷な殺戮場面が描かれている点が共通しています。
「浄瑠璃物語絵巻」「山中常盤物語絵巻」、「堀江物語絵巻」は熱海のMOA美術館が所蔵、
「小栗判官物語絵巻」は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵しています。
そして、今年2014年09月26日(金)〜10月28日(火)に
MOA美術館で、又兵衛「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」と題した展覧会が催されます。
展示品は、「豊国祭礼図屏風」「浄瑠璃物語絵巻」「山中常盤物語絵巻」、「堀江物語絵巻」、「官女図」、「寂光院図」などのが一堂に公開されます。
展覧会情報
この機会に、又兵衛の作品を見に行ってみたいと思っています。
行けない方のためにも、この度私が購入した岩佐又兵衛作品集の紹介をしておきます。
岩佐又兵衛作品集―MOA美術館所蔵全作品
宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の岩佐又兵衛「小栗判官物語絵巻」
ミラクル絵巻で楽しむ「小栗判官と照手姫」―伝岩佐又兵衛画 (広げてわくわくシリーズ)
又兵衛は、寛永14年(1637年)徳川家光の娘・千代姫が尾張徳川家に嫁ぐ際の婚礼調度制作を命じられ、福井に妻子を残し江戸で向かいます。
江戸では、寛永15年(1638年)に焼失した仙波東照宮の「
三十六歌仙図扁額」を描いています。
20年余り江戸で活躍し、福井に戻ることなく、慶安3年(1650年)江戸で75歳の生涯を終えました。
晩年の又兵衛の画風は、特異な画風は影を潜め、落ち着いたものになったそうです。
長谷川等伯の養子になった長谷川等哲も又兵衛の子といわれています。
荒木村重は、茶人となり、子には絵師の才能があった・・・村重には芸術家の血が流れていたのかもしれませんね。
(Wikipedia、「美の巨人たち」HP、「岩佐又兵衛作品集」参照)
画像:「岩佐又兵衛作品集」「小栗判官と照手姫」より
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