田畑政治は明治31年(1898) 12月1日、清酒の東天やサイダーを販売していた浜名郡浜松町成子(現・浜松市成子町)の造り酒屋「八百庄酒店」の次男として生まれました。
実家は、浜松有数の資産家で、当主は浜松商業会議所設立や銀行の事業にも関わっていましたが、後に、浜松初の本格フレンチレストラン「オーク」へ業態転換しました。
「田畑家は造り酒屋を営む浜松有数の資産家であった。八百庄という屋号で清酒・味醂・白酒・焼酎を醸造・販売。この地は、三方原台地の南端に位置し、豊富な湧き水や井戸もあったために酒造りに適しており、東海道に面していたため人通りも多かった。田畑家の当主は浜松商業会議所の設立のほか銀行や堀留運河等の事業にも関わっていた。政治は、明治31年 (1898) 12月1日に田畑家の二男として生まれた。その後、浜松で初の本格的なフランス料理レストラン「オーク」へと業態を転換し、おもてなしの拠点としてたいそうな賑わいを見せた。」
生家があった
成子は、三方原台地の末端に位置し、豊富な湧水に恵まれていたため、
徳川家康の時代から忍冬酒や浜納豆などが製造されていました。
忍冬酒(にんどうしゅ)は、スイカズラの花の乾燥させたものを用いて作った薬用酒で、戦国時代から家康を筆頭に愛されてきました。
浜納豆は、浜名納豆の略で、煮た大豆に小麦粉をまぶして発酵させ、塩水に漬け込んだのち干した塩辛納豆の一種。みそに似た風味をもち,酒のつまみなどにします。普通の納豆のように糸は引きません。
三ヶ日(現浜松市北区三ヶ日町)にある大福寺でつくり始めたといわれ、その後、京都の大徳寺や天竜寺で作られようになりました。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の際、大福寺の僧が浜納豆を献上して喜ばれたそうです。
韓(から)を納めてまめであるということばの縁起を吉兆としたからで、初めは韓納豆といっていたのを、地名をとって浜納豆、または寺名を冠して大福寺納豆とも。
家康が浜松城にいたときには元旦に献上し、その後、将軍の賀上の祝い膳には浜納豆を加えたといいます。
現在は、
セブンイレブン浜松成子町店となっており、駐車場の一角に案内板がたてられています。
お店の前は、遠鉄バス「成子坂」のバス停があります。