JUGEMテーマ:大河ドラマ
7月8日の大河は、特別編でこれから出てくる坂本龍馬、勝海舟、岩倉朋美、桂小五郎について語る番組でした。そして、西郷どんが革命家に変わってゆき、江戸城を無血開城します。どんなふうに4人とからみ江戸幕府を倒してゆくのか楽しみです。
そこでこのブログも前半のまとめとして西郷どんが人間形成をした島流しについて書きました。
第一回は、身を隠すために奄美大島に行った時、5月13日「流人 菊池源吾」、5月20日「愛加那」、6月3日「別れの唄」放映されました。
第二回目は罪人として沖永良部島に流された時です。
1859年、西郷は幕府から身を隠すため、奄美大島に行き、愛加奈と結婚し子供をもうけます。
1860年、大老井伊直弼が桜田門外で暗殺され、ますます幕府の権威がなくなってきました、
同年に皇女和宮と将軍家茂との結婚が決まり、
1862(文久2)年2月に結婚しました。
同じころに西郷は、奄美大島から鹿児島に帰りました。
皇女:和宮様の像が神戸市須磨区に建てられているので紹介します。
惜しまじな 国と民との 為ならば
身は武蔵野の露と消えゆとも
和宮様の像は、源義経が平家と戦った一の谷にあります。
一の谷から見た義経対平家の戦った浜
『和宮さんは、6歳で有栖川熾仁(たるひと)親王と婚約されていました。
幕府の強い要望で婚約を破棄し、17歳で徳川14代将軍家茂に嫁がれました。
その後、有栖川親王が官軍の総指揮官となられて江戸幕府への総攻撃をかけようとした時に、和宮様は、親王に嘆願して江戸の町を戦火から救われました。
昭和9年に外遊から帰った中村直吉氏が西欧の女性の姿にふれ、日本女性の美徳保持をいつまでもと願い、県下の三女学校にこの和宮像を寄贈されました。』
(案内板より)
和宮様の像が建てられている場所から西に行った所に有栖川親王の別邸があります。戦火を免れた像が元の婚約者であった有栖川親王様の面影のある別邸近くに像が建てられたのでしょうか。
有栖川熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)
戊辰戦争(1877年)の発端となった鳥羽伏見の戦いの東征軍大総督に任命される
西南戦争(1877年)では征討総督、その後は陸軍大将
明治28年、別邸(現舞子ビラ)で静養されましたが、ご逝去されました。(享年61歳)
有栖川宮は明治22年夏、この場所に来られ、明石海峡の景色に魅せられ別邸を建てることを決められました。
建設当時の有栖川別邸
有栖川邸より見た明石海峡(遠方に見える淡路島〉
現在の明石海峡
有栖川別邸跡に建てられた舞子ビラ(ホテル)