永禄8年5月、第13代将軍・足利義輝が松永久秀や三好三人衆らによって暗殺されたため、仏門に入っていた弟の覚慶が還俗して義秋(後、義昭と改名)を名乗り、将軍家を再興するため大名家を転々としながら上洛の機会を覗っていました。
義秋が越前朝倉氏の庇護を受けていた時、ここから上洛に協力してくれる大名を募って有力大名へ書状を送りました。
それが播磨国・御着城主の小寺政職にも姫路城主の黒田職隆にも届き、ちょっとした軋轢がうまれたと・・・ドラマではそのようなストーリーになっていました。それはさておき・・
越前朝倉氏の城下町「一乗谷」は、福井市街の東南10Kmにところにあります。
朝倉氏5代、103年にわたって越前の中心として繁栄し、北陸の小京都とも呼ばれました。
その遺跡はそのまま埋もれていましたが、昭和42年より発掘調査が進められ、昭和46年には一乗谷を含む278haが国の特別史跡に指定されました。
朝倉館跡「唐門」
朝倉氏滅亡後、義景の菩提を弔うため建てられた寺の門(旧松雲院門)です。
第5代当主・朝倉義景の館跡と庭園
近くに、朝倉義景のお墓もあります。
湯殿跡庭園
4代目孝景の頃の回遊式林泉庭園で、一乗谷で最も古い庭園とされています。
中の御殿跡
朝倉義景の実母・光徳院の屋敷跡と伝えられています。
諏訪館跡庭園
朝倉義景の夫人・小少将の屋敷跡と伝えられています。
庭園は一乗谷で最も規模が大きい回遊式林泉庭園で、朝倉氏の文化水準の高さが伺えます。
道の向こう側には、当時の城下町の様子が復元されています。
復元町並を歩いてみました。
ここでは、武家屋敷や商人屋敷などが復元されています。
発掘された堀の石垣や建物礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基いて忠実に復元しているそうです。
一乗谷の復原町並は、数年前、携帯電話CMの舞台となりました。
白い犬のお父さん・・といえば、思い出していただけるでしょうか(笑)
町並み全体の模型もありました。
これだけの威容を誇った朝倉氏も、姉川の合戦、そして刀根坂の戦いで信長に敗れ、城下町も焼き討ちにあい灰燼に帰しました。
一乗谷朝倉氏遺跡には、足利義昭を招いて観桜の酒宴を催した「南陽寺跡庭園」や義昭が数ヶ月滞在した「御座所跡」などがあるのですが、残念ながらこの時パスしました。
とにかく広大な遺跡群で、隅々まで見ると6時間くらいかかるそうです。
ここを訪れる際には十分な時間をとることをお勧めします。
by merry
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