大河ドラマ「平清盛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、関連番組、関連グッズを紹介しています。今年は「清盛」を追いかけます!
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音戸大橋と清盛塚

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    かれこれ6年前のことになりますが、宮島観光の帰りに広島県呉市の音戸の瀬戸に立ち寄りました。

    父・忠盛の死後、跡を継いで平家一門の棟梁となった清盛は、瀬戸内海の実権を握り、摂津大輪田泊(神戸港)の修築に着手し、これにより、宋船の回航が可能となりました。音戸の瀬戸も清盛が日宋貿易の航路のために開削したされる海峡で、呉市の休山半島と倉橋島の間にあり、最も狭いところでは幅90mほどしかありません。

    清盛は長寛2年(1164)年に着工。
    厳島神社造営と同時に工事を進め、わずか10か月で完成させたといいます。

    JR呉駅から観光タクシーで清盛ゆかりの地をまわってみました。
    まず最初に向かったのが音戸大橋です。

    音戸大橋

    音戸大橋1B

    幅90mの音戸の瀬戸に架かる主橋梁長172mの真紅の橋。1000トン級船舶の航行を可能とするため螺旋式とループ式の取付道路をもつ高架橋として、総工費3億6200万円をかけて1961(昭和36)年に完成し、本土と直結しました。

    清盛塚

    倉橋島側の橋脚近くにあります。

    清盛塚4 B

    音戸の瀬戸開削は難工事で、人柱を立てようという話が持ち上がった時に、清盛は反対し、代わりに一切経を一字ずつ書いたの経石を海底に沈め、難工事を完成しました。 1184(元暦元)年に清盛の業績を称え、倉橋島に清盛塚を建立したといわれています。

    周囲49mの石垣に囲まれた塚の中央には、供養のために立てられた石碑があります。

    清盛塚3 B

    by shizuka

     

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    白河院址碑

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      市バス「法勝寺町」下車し、京都市動物園近くに私立学校共済の「白河院」という宿泊施設があります。

      白河院の門 B

      この辺りは、かつて藤原良房の別荘があり、後に藤原師実によって白河天皇に献上されました。

      この白河院を改装して建てたのが六勝寺のうちの法勝寺で、発掘調査の結果、八角九重大塔がそびえ建ち、大きな池を中心にした庭園がある壮大なものであったと推定されています。

        六勝寺とは

      平安時代後期の院政期、天皇、皇后により、白河(現在の京都市左京区岡崎・平安神宮の周辺)に「勝」という名のついた寺院が六つ相次いで建てられました。当時は白河北殿を初めとする院や女院の御所が立ち並び、大いに栄えましたが、戦火や天災により度々焼失し、すべて廃絶してしまいました。

      法勝寺(白河天皇御願寺)尊勝寺(堀河天皇御願寺)最勝寺(鳥羽天皇御願寺)円勝寺(待賢門院御願寺)成勝寺(崇徳天皇御願寺)延勝寺(近衛天皇御願寺)

      白河院(法勝寺址)由緒 B

         白河院並びに法勝寺跡

       白河院は、もと藤原良房の別荘で、北家藤原氏によって代々受け継がれてきたが、藤原師実の時、白河天皇に献上され、承保2年(1075)天皇によってこの地に法勝寺が建立された。法勝寺は、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺とともに六勝寺と総称された寺で、東は岡崎道より300メートル東、西は岡崎道、南は現在の動物園の南、北は冷泉通より50メートル南に囲まれた広大な寺域を有し、境内には、金堂、講堂、阿弥陀堂、法華堂、五大堂、八角堂、常行堂などの諸堂が立ち並んでいた。中でも池の中島の八角九重塔は壮大な高塔であったといわれている。しかし、文治元年(1185)の大地震により九重塔以外の諸堂の大半が倒壊し、更に康永元年(1342)の火災により残る堂舎も焼失した。その後覚威和尚によって一部再建されたが、衰退の一途を辿り、やがて廃寺となった。

            京都市

        
       白河院庭園の説明 B

        白河院庭園

       本庭園の周辺は、かつて白河天皇が営んだ法勝寺の境内にあたり、白河院の名称は、それに因んで付けられたものという。 庭園と建物は、当地が下村忠兵衛の所有となった翌年の大正8年(1919)に造られた。下村家は、明治から昭和にかけて呉服業を営んでいた家柄である。昭和33年(1958)に、現所有者の前身である私立学校教職員共済組合の宿泊施設となり現在に至る。 庭園を手がけたのは7代目小川治兵衛(植治)である。昭和57年(1982)に洋館と和館の一部は取り壊されたが、庭園部は殆ど改変を受けなかった。 庭園の構成には、東山への眺望を活かしつつ和館の傍にクロマツの大木を配することで、敷地に遠近感を与えるなどの工夫が凝らされている。さらに、樹木の特性を熟知した植栽の配置、琵琶湖疏水から引かれた水流の巧みな取り扱いなど、植治による円熟の技が随所に現れており、貴重なものである。

       (白河院庭園の案内板より)

      白河院址の石碑

      白河院址碑2 B

      白河院址碑1 B




      by shizuka

       

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      鏡の里元服式参加者を募集中

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        滋賀県観光交流局から届いたナウい情報をお知らせします。

         

        鏡の里元服式参加者を募集中

        現在、鏡の里元服式実行委員会は、十三歳以上の男女を対象に参加者を募っている。

         開催日時は、三月四日午前九時五十分から午後二時まで。当日は、男性が直垂(ひたたれ)、女性が水干(すいかん)装束に身を包み、神聖なる鏡神社拝殿で“髪上げの儀”(元服時に義経が使用した物を復元したたらいに聖水を入れ、参加者が水面に映る自分の姿をのぞき込みながら頭髪に刀を当ててもらう)や“加冠の儀”(成人の証として男性には風折烏帽子、女性には高烏帽子が授けられる)を体験する。

         厳かな式で決意を新たにした後は、日本今様謌舞楽会による舞楽奉納を鑑賞し、道の駅竜王かがみの里歴史広場ステージでのお祝い式典に参加し、装束姿のまま鎌倉時代の武士の祝い膳を再現した「義経元服料理」に舌鼓を打つ。

         対象者は十三歳以上と上限を設けておらず、還暦を祝って三度目の成人式をしたいなど個々の人生の節目を祝うのにも最適。定員は十人。参加費は一万円(衣装着付け・祈祷料・記念写真・元服料理代など込み)。

         参加希望者は、二月二十一日までに、竜王町観光協会(TEL0748―58―3715)へ申し込む。(滋賀報知新聞より)

         

        詳しくは⇒http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0009376

         

        この元服式は平成18年より行われていて、義経ゆかりの竜王町でしかできない体験とあって、町外や県外からの参加者も多いそうです。

         

        近くには、源義経元服之池や義経が宿泊した館跡などがあります。




         

        また10分ほど歩けば、清盛の跡を継いで平家の棟梁となった平宗盛が、壇ノ浦で捕えられ、この地で首をはねられたという胴塚もあります。


         

        さらに足を伸ばせば、野洲市に妓王屋敷跡や妓王寺もありますよ。


         

        歴女歴男の皆様、

        義経、清盛ゆかりの地を訪れ、元服式にも参加されてはいかがでしょうか?

                       by merry


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        江戸東京博物館「平清盛」展

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          先日、江戸東京博物館で開催中のNHK大河ドラマ50年 特別展「平清盛」に行って来ました。
           
          IMG_5520 B 

          IMG_5519 B 

          世界遺産・厳島神社に伝えられる至宝、肖像画や書跡、源平合戦を 描いた絵画、平家末期の文化を象徴する美術・工芸品など、国宝・重要文化財を含む約120点を紹介されています。
           
          私が見たかった清盛の出生に関わる胡宮神社所蔵の古文書「仏舎利相承系図」もありました!
           
          展示品は242品にも及び、ざっと見るだけでも1時間以上かかりました。これからお出かけの方は、時間に余裕を持ってお出かけください。
           
          2012年1月2日(月・祝)〜2月5日(日) 江戸東京博物館

          ※会期中、資料の展示替があり。 詳細はこちら 

           ↓
           
          http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/index.html


          by shizuka

           

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          仁和寺

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            白河法皇の死後、祇園女御は仁和寺境内にあった威徳寺にこもり、仏事ざんまいの余生を送ったと云われています。

            残念ながら応仁の乱でほとんどの堂舎が焼けてしまい、現在の建物は江戸時代に再建されたものです。
            威徳寺もありませんが、祇園女御を偲びながら境内を歩いてみました。

             

            二王門
            左右に金剛力士を安置することから二王門と呼ばれています。


             

            二王門を抜けると、まっすぐの参道がのび、その先に中門があります。


             

            中門をくぐると、右に五重塔、左に名勝の御室桜があります。

             



            さらに進むと正面に国宝の金堂があります。

            京都御所の紫宸殿を移築したものです。


             

            金堂の左手に鐘楼


             

            観音堂

             

            御影堂


             

            金堂の右手には経蔵

             

            九所明神・・仁和寺の伽藍を守る社です。

             

            仁和寺御殿にも入ってみました(ここは有料500円です)

            宸殿とその前にある左近の桜と右近の橘


             

            宸殿の前にある白砂と杉松の枯山水の南庭


            宸殿内部の上段の間


             

            五重塔を背景にした池泉の北庭


             

            霊明殿・・仁和寺歴代門跡の位牌が祀られています。


             

            霊明殿内部


             

            本尊は薬師如来座像・・平安時代後期の作です。

            まさに源平の時代に作られたものですね。
            本尊は秘仏とされているので、これはレプリカかな?

             

            仁和寺は御室御所とも呼ばれ、代々皇子皇孫が仁和寺の門跡となっています。

            朝廷とは深いつながりがあり、平治の乱の時にも、内裏の一本御書所を脱出した後白河天皇がここへ逃れてきています。

            また乱の首謀者・藤原信頼を始め、敗北者の方に与した公家朝臣の多くも、ここへ逃げこんできたと云います。

            源平騒乱当時の仁和寺はまるで駆けこみ寺だったようです(笑)


                             by merry


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            神戸と厳島神社

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              JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「平清盛」

              15日の記事「御苑と厳島神社」の中に
              >平相国清盛公 安芸の国佐伯郡に坐す厳島大神を崇敬の余り摂津の国菟原郡兵庫築島
              (神戸市兵庫区永沢町)に一社を設けてこの大神を勧請し給い鎮祭されたのであり


              とありましたので関連記事として神戸の厳島神社について
                清盛は福原遷都以前から兵庫津を宋との貿易港としていました。そのため兵庫に築島を築き、大和田ノ泊の修築事業を進めました。清盛は工事の安全、そしてこの地に住む人々の安泰を願い、平家一族の氏神である安芸ノ国厳島明神を勧請しました。


              兵庫厳島神社
              清盛が摂津の国兵庫築島に勧請した神社とあるのがこの神社です。
              所在地:神戸市兵庫区永沢町
              兵庫厳島神社


              花隈厳島神社
              六甲山から神戸港に注ぐ宇治川の浜辺に祀られていたが、明治時代に海岸工事が行われた際、今の場所へ移された。

              数十年前の花隈界わいは料亭が軒を連ね、そのため芸子さんの参拝も多かったという。
              この社のご利益は航海安全、芸能向上とされる。
              花隈厳島神社


              篠原厳島神社
              今回、訪問した神社です。
              創建は「福原新都の節、布引の滝より夜な夜な光物有と清盛公よりある。これを退治すると白玉を頂く大竜なり。この白玉を此所に安置し奉った」と古老より言い伝えられることより、治承4年(1180)とされる。また、神社の縁起となっている「福石」は、平清盛が平盛継に命じて討ち取った、頭に珠を担ぐ大蛇の首を埋めた上に置いた大きな石といわれています。篠原厳島神社





              急な山の斜面に建っていますので本殿に登るのには
              急勾配の階段をあがります。

              階段





              航海の安全を願って建てられましたので、海が見えます。
              建設当時ならもっと神戸の海がよく見えたでしょう。

              海





              神戸には、7〜8箇所の厳島神社がありますが、
              清盛と関係のあるのは、上の三つだけと思われます。





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              滋賀のロケ地

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                去年の大河ドラマ「江〜姫たちの戦国」は滋賀県がご当地だったので、小谷城をはじめ竹生島やびわ湖の浜辺など、多くのロケが行われました。
                 

                今年は「平清盛」なので、もう滋賀県でのロケはないのかと思っていたら・・

                 

                1月8日「平清盛」第1回目放送のテレビ画面です。

                多くのロケ地の中に、滋賀県もありました。


                 

                滋賀県の観光交流局から頂いたメールによりますと、今年の大河ドラマでも滋賀ロケーションオフィスが支援し、滋賀県内では日吉大社、三井寺、油日神社、野洲川の4カ所でロケが行われたそうです。

                第1・3・4・6・7・8・11回でその場面が放送されます。

                 

                第1回では「野洲川(甲賀市甲賀町 岩室橋下流)」が登場したそうなので、ビデオを回してチェックしてみました。

                もしかしてコレ?

                 

                平忠盛と舞子の幸せそうなシーンです。

                滋賀県にはのどかな自然がいっぱい残っているので、900年昔の舞台設定でも違和感がありませんね。

                 

                ロケ地の詳細は、3月に滋賀県庁の渡り廊下で実施予定のロケパネル展で紹介されるそうなので、興味のある方はお出かけ下さい。

                 

                滋賀ロケHP(参考)

                 →http://www.shiga-location.jp/news/index.php?id=195

                ロケレポート(参考)

                 →http://shigaloca.shiga-saku.net/e704722.html


                                             by merry


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                石清水八幡宮(2)

                0

                  行きはケーブルを利用したので、帰りは徒歩で降りることにしました。

                  三ノ鳥居をくぐり、竹林の脇を通り、12月でもまだ紅葉の残る道をひたすら下へ進んで行くと、表参道から石清水八幡宮へ向かう分岐点に「旧跡 かげきよ」という石碑と手水鉢があります。

                  img_5876_c B

                  景清塚

                  「かげきよ」は、平氏の悪七兵衛景清に由来し、平家滅亡後、石清水八幡宮に参詣に来た頼朝を、待ち伏せしましたが、頼朝は、駒返り橋で引き返し、事なきを得たという説があるそうですが、石清水八幡宮のHPでは、この話は作り話にすぎないと書かれてます。
                  ここは、かつて、瀬織姫を祀る祓谷社があり、6月と12月の大祓では、昔、人形を流す祓いの行事が行われ、参拝人もこの清水に自分の影を写して心身を祓い清めました。「かげきよ」は、「影清め」「姿お清める所」という意味で、手水鉢はその名残を留めているとのことです。

                  藤原景清
                  平家に仕えて戦い、都落ちに従ったため俗に平姓では平景清とも呼ばれているが、藤原秀郷の子孫の伊勢藤原氏(伊藤氏)で、伊藤景清ともいう。通称、上総七郎(上総介忠清の七男であるため)。信濃守(1180年)、兵衛尉。「悪七兵衛」の異名を持つほど勇猛であった。 平安末期における治承・寿永の乱(源平合戦)において活躍した。『平家物語』巻十一「弓流」において、源氏方の美尾屋十郎の錣を素手で引きちぎったという「錣引き」が特に有名である。壇ノ浦の合戦で敗れた後に捕られ、預けられた八田知家の邸で絶食し果てたといわれるが異説もある。「悪七兵衛」の「悪」は悪人という意味ではなく、「悪党」と同様に勇猛さを指すものとされるが、壇ノ浦の敗戦後に自分を匿った叔父の大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害してしまったためにそう呼ばれるようになったとの伝承もある。ただし近年は能忍の死因は病死または事故死とする説が有力。 実在したとはいえ生涯に謎の多い人物であるため、各地に様々な伝説が残されているが、いわゆる平家の落人として扱われる事は少ない。このためか各種の創作において主人公としてよく取り上げられている。
                  『吾妻鏡』の記述によれば、景清には兄がいて、上総五郎兵衛尉忠光といい、鎌倉二階堂の永福寺の造営中、源頼朝を暗殺しようと土工にまぎれこむも、怪しまれて捕まっている。(Wikipediaより)


                  頼朝手植えの松

                  景清塚を過ぎ、二の鳥居を越えた絹屋殿の東に源頼朝手植松と書かれた石碑と、一本の松があります。

                  img_5879_c B

                  現在のは二代目の頼朝松で、初代の樹齢700年余りの松は、昭和22年に落雷により燃えてしまったそうです。

                  img_5880_c B

                  その初代の松は、頼朝奉納の伝承を持つ「六本松」の唯一の生き残りとされていただけに、落雷による焼失というのは、非常に残念なことですね。
                  「吾妻鏡」には、頼朝が、石清水八幡宮を参拝したことが記されていて、計5回も訪れているそうです。そのうち、一回は、妻・北条政子と娘を連れての参拝、そして長男・頼家を連れての参拝もあったとのこと。
                  頼朝は、鎌倉から持って来た六本の松の苗木を石清水八幡宮に植え、ここから持ち帰った松を、鶴岡八幡宮の境内に植えたといいます。
                  by shizuka

                   

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                  石清水八幡宮(1)

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                    数年前、京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を訪れました。

                    石清水八幡宮は京都府八幡市の男山山頂に鎮座する神社で、京都の鬼門(北東)にある延暦寺と対峙して京都の裏鬼門(南西)を守護する神社です。

                    八幡神は、源氏の氏神として知られ、源氏は全国各地に八幡大神を勧請しました。

                    源氏の源義家は、石清水八幡宮で元服し、自らを八幡太郎義家と名乗りました。

                    義家の父である源頼義が石清水八幡宮を河内源氏の本拠地・河内国石川郡壷井(大阪府羽曳野市壺井)に勧請したのが壺井八幡宮であり、後に鎌倉由比郷鶴岡(由井若宮)にも勧請し、1180年に源頼朝が現在地に移したのが鶴岡八幡宮です。

                    河内源氏のライバルであった伊勢平氏も石清水八幡宮を崇拝し、平正盛が造営に関わったことや、伊勢平氏の人々が臨時大祭で舞人を演じました。

                    1129(大治元)年3月、清盛が12歳の時、従五位下左兵衛佐に任じられた際、石清水八幡宮の臨時大祭で奉納神楽の舞人にを演じたという記録が残されています。その時の清盛一行の装束は、美しく贅沢なものであったそうです。

                    また、後白河上皇もたびたび当社に参詣しています。

                    男山の頂まで、行きはロープウェイで上がりました。

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                    わずか3分ほどで、頂上に到着。

                    そこからは徒歩で坂道を登ります。

                    参道を進み、本殿へ向かいます。

                    まず目を引くのが参道沿いにある石灯籠です。

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                    形がまちまちで、不揃いなのは初めて見ました。

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                    現在の社殿は、徳川三代将軍・家光によって寛永11年(1634)に造営されました。本殿は八幡造りで、その前には幣殿・舞殿・楼門と続き、周囲を18回廊が囲んでいます。

                    この時は、本殿は修復中で、仮本殿にお参りすることになりました。


                    by shizuka

                     

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                    清盛の軌跡展 (神戸海洋博物館)

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                      平清盛関連のイベントで神戸港にある神戸海洋博物館で開かれている「清盛の軌跡展」を見てきました。

                      中身は、神戸港ができてきた歴史をふりかえっています。

                      神戸が大型船の港に適していると初めてとりあげたのが、平清盛です。当時、博多にしか来ていなかった宋からの大型貿易船を都に近いところに泊めようとして現在の神戸港より少し西に位置する大輪田の泊を港としました。

                      続いて、江戸時代には、北前船、檜垣廻船などが大輪田の泊り近くの兵庫の津に出入りしていました。

                      現在の神戸港は、明治になり、坂本龍馬が居た海軍操練所ができ、その近くに外人居留地ができ、運上所も開設して、今の神戸港ができてきました。

                      以上のような内容をパネルなどで解説しています。写真はNGです。入場料 ¥500−

                       

                      神戸海洋博物館
                      左の塔は、神戸ポートタワーで、港が一望できます。高さ108M

                      館内のカワサキワールドには、川崎重工業(株)製造のオートバイ、船舶、鉄道などの輸送機器が展示されています。

                       


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